現存天守唯一の山城、備中松山城攻城記。 その2 <大手門~三ノ丸>
「その1」のつづきです。
ふいご峠から歩くこと約15分、見事な石垣の場所につきました。
備中高松城 大手門跡にあたる巨大石垣群です。

平成28年(2016年)の大河ドラマ『真田丸』のオープニング映像で、この石垣群のドローン映像が使われていたのは有名ですね。

大手門から先は石垣パラダイスですが、やはり最も目を引くのは、城跡の見附と言ってもいい大手門右手にそびえる石垣群ですね。

天然の岩盤の上に石垣を築きさらにその上に土塀が乗っかっています。
まさに、山城的天然と人工のコラボレーション。

おそらく往時はこの石垣の上に櫓や門などの建築物が乗っかっていたでしょうから、これだけ奥行きのある石垣は露出していなかったでしょう。
城跡だから見られるロケーションですね。

大河ドラマ『真田丸』のことが書かれた説明板があります。


江戸時代、備中松山城は幕府の直轄領となり、代官として小堀政次が配置されました。
政次の跡を継いだ小堀政一(遠州)は、城の修復を行いました。
その後、池田長幸が6万5000石で備中松山城藩を立藩し、池田氏2台のあと、水谷氏が5万石で入府。
その2代目の水谷勝宗が城に大改修を加え、現在見られる城の姿が完成したそうです。
この石垣は、小堀遠州時代のものか、水谷勝宗時代のものか、どちらでしょうね?

大手門を正面から撮影。
枡形虎口になっています。
おそらく、手前の左右の石垣の上に櫓門があり、正面の高石垣の上にも櫓か土塀があったのでしょう。

少し角度を変えて撮影。
枡形形状がよくわかります。

大手門櫓台石垣の横に石段があります。

その石段の登り口には、「足軽箱番所跡」と刻まれた石碑があります。
枡形虎口の枡の中が番所になっていたから、箱番所というのかな?
石段を上ってみましょう。


櫓門石垣の上から見た大手門です。
向こう側の櫓門石垣の上にも、何か石碑が見えますね。

反対側の櫓門石垣の上にきました。
石碑には「大手櫓」と刻まれています。

大手櫓跡から見た反対側の櫓台。

そして見上げれば、見事な石垣群です。

見惚れてしまいますね。

大手門だけで何時間も見ていられそうですが、時間もないので先に進みます。

大手櫓跡の南側のコーナーに突き出した一角のスペースがあり、何か石碑が建っています。

石碑には、「二の平櫓跡」と刻まれています。

そこから西側に向かって石段が伸びます。
右側の石垣は三の丸石垣、左側の土塀が現存土塀だそうで、国の重要文化財に指定されています。
ただ、すべてが現存ではなく、途中から復元の土塀が足されているそうです。

「土塀」と刻まれた石碑です。
このあたりは現存土塀です。


土塀に沿って石段を登ると、長方形に突き出した部分があり、その上には「三の平櫓跡」と刻まれた石碑があります。
この櫓跡石垣から東側に先ほどの土塀が伸びているため、土塀を「三ノ平櫓東土塀」と呼びます。

そして後ろを振り向くと、三ノ丸が広がります。

石碑には、「足軽番所跡」とあります。
さっきの大手門のところが「足軽箱番所」、そしてここが「足軽番所」。

そして、三ノ丸北側には「上番所跡」と刻まれた石碑が。
番所=警備室のような場所ですから、ここまでですでに三重のセキュリティということになりますね。

三ノ丸から見下ろした大手門です。


そして、そこから北側を見上げれば、どどーんと石垣群。
見事です。
右の石垣上に見える土塀も、現存土塀だそう。

三ノ丸まで来ましたが、なかなか進みませんね。
「その3」につづきます。
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by sakanoueno-kumo | 2022-08-18 23:55 | 岡山の史跡・観光 | Trackback | Comments(2)
さすが日本三大山城だけあります。
機会あれば訪ねてみますね♪