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山田方谷家塾 牛麓舎跡

前稿まで備中松山城を歩いてきましたが、城のある臥牛山の南麓に、「山田方谷家塾 牛麓舎跡」と刻まれた石碑と説明板があります。


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山田方谷は備中松山藩出身の幕末の学者で、その才により藩に学問の教授として取り立てられ、のちに藩主・板倉勝静の下で藩政を担って藩政改革を断行し、破滅寸前の藩財政を立て直すなどの功績を残した人物です。

勝静が幕府の老中となると、その政治顧問として幕政にも関与しました。


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説明板によると、ここにあった牛麓舎は山田方谷が有終館の学頭(校長)として藩から与えられた邸宅で、天保9年(1838年)に開いた家塾だそうです。

この地が、臥牛山の南山麓にあったので牛麓舎と名づけられました。

方谷の学風を慕って入門するものが常に数十人あり、進鴻渓、大石隼雄、三島中洲、寺島義一など、のちに藩政に活躍した人材を輩出しました。


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説明板の横には、方谷の名言を刻んだ石碑があります。


総て学問は、存心、致知、力行の三つなり

<すべて、生活者・実践者が学び問い直すこと(学問)は、主体性を確保し、良知を発揮し、実践することである。>


岡山県高梁市には、山田方谷やゆかりのある人物の名言などを記した12の碑があります。

これはそのひとつだそうです。


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市内には、方谷ゆかりの地がほかにも数か所あります。

時間の都合上、全部回ってはいませんが、次稿につづきます。




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by sakanoueno-kumo | 2022-10-20 13:13 | 岡山の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)

 

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