近江水口岡山城跡攻城記。 その2 <本丸>
「その1」のつづきです。
水口岡山城跡伝西の丸から本丸へ向かいます。
向こうに見える高い場所が本丸です。
本丸に向かって登ります。
ここを登っていくと本丸ですが・・・。
頂上まで45mとありますが、左へ行くと本丸石垣とあります。
行ってみましょう。
ありました。
本丸切岸の石垣跡です。
石垣というか石積みというか、でもしっかり残っていますね。
「その1」でも紹介したとおり、水口岡山城は天正13年(1585年)、羽柴秀吉の命により中村一氏によって築かれました。
時代的にも、そして秀吉の命ということから思えば、いわゆる織豊系城郭らしく石垣づくりの城だったのでしょうね。
さっきの場所に戻って、再び本丸を目指します。
本丸に登ってきました。
何か石碑があります。
石碑には「紀念碑」と刻まれています。
何の「紀念碑」でしょう?
手前の標柱には、「伝本丸櫓跡(天守とする説あり)」とあります。
ここに天守か、天守に該当する櫓があったと考えられているようですね。
伝本丸櫓跡から伝西の丸を見下します。
いい天気です。
本丸は東西に細長い「へ」の字の形をした曲輪となっています。
伝本丸櫓跡はその西の端。
本丸東に向かって歩きます。
鳥居がありますね。
小さな祠が祀られています。
その横には、「本丸跡」と書かれた標柱と、説明看板が並んでいます。
この縄張り図はわかりやすい!
「その1」で登ってきたのが左側の伝西の丸側から。
そして今いるのがその右の伝本丸で、東(右)へ進むと、伝二ノ丸、伝三ノ丸、伝出丸と続いています。
本丸だけで東西100m以上ありそう。
「古城山山頂282.9m」と書かれた標柱があります。
この地面の窪みは何でしょうね。。
本丸の東端に少し地面が盛り上がった場所があり、「伝天守跡」と書かれた標柱があります。
上の縄張り図に見る東櫓台の場所ですね。
もっとも、西櫓台のときにも述べたとおり、西と東、どちらが天守だったかはわからないようです。
伝天守跡から本丸西側を振り返ります。
さて、二ノ丸、三ノ丸へ向かいましょう。
ここを訪れたのは令和3年(2021年)8月29日、雑草が長くて遺構があまりわかりません。
本丸切岸を下りてきたのですが、伝二ノ丸に行く前に、「石垣へ」と書かれた標柱がありました。
行ってみましょう。
ぐるっと本丸北側にやってきました。
「食い違い虎口跡」と書かれた標柱が。
たしかに、食い違い形状になっていますが、写真では伝わりづらいですね。
その食い違い虎口を抜けると、向こうに石垣が見えます。
石垣です。
本丸西側の石垣より高いです。
これも夏じゃなかったら、雑草が枯れてもうちょっと石垣が露出しているのでしょう。
工法は時代的に言うまでもなく野面積みですね。
さて、本丸だけで長くなっちゃいました。
つづきは「その3」にて。
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by sakanoueno-kumo | 2022-12-01 19:32 | 滋賀の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)