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どうする家康 第3話「三河平定戦」 ~今川離反の決意~

 今回は岡崎に帰った松平元康(のちの徳川家康)が、これまで通り今川に付いて織田と戦うか、あるいは、これを機に今川を見限って織田に与するかという、まさに「どうする」の話でしたね。劇中、家臣たちが今川に付くか織田に付くかで乱闘になっていましたが、実際にも、きっと家中の意見は分かれていたでしょう。じゃあ、当の元康は、どうだったのでしょう?


 桶狭間の戦い後、元康はまず西三河の平定に着手します。他方で、刈谷、小河など三河と尾張の国境付近を中心に、当初は織田方と戦っていました。当時、刈谷城、小河城に拠っていたのは、かつて今川から織田方に寝返った水野信元でした。信元は元康の生母・於大の方の兄であり、元康から見れば叔父にあたる人物です。劇中、元康は「水野信元なる男は、わしは嫌いじゃ」と言っていましたが、実家である水野が織田方に転じたため、於大の方は離縁され、幼い元康と生き別れになったという因縁の人物であり、たしかに、元康は信元が嫌いだったかもしれませんね。『三河物語』『松平記』によれば、永禄4年(1561年)2月ごろまで元康と信元らの抗争がつづいたと伝えられます。


どうする家康 第3話「三河平定戦」 ~今川離反の決意~_e0158128_20450078.jpg 最終的に元康は今川と断交して織田と手を結ぶことになるのは、誰もが知るところです。では、元康がその決断をしたのはいつの時点だったのか。これまでの通説では、桶狭間の戦いのあと、元康は駿府の今川氏真弔い合戦を勧めながら自らも織田方と戦っていましたが、氏真がこれに応じなかったため、永禄4年(1561年)2月ごろに、叔父の水野信元の勧めによって織田方に転じたとされています。一方で、最近の学説では、元康が桶狭間の戦い後に織田方の各地を攻めたとする話は後世に成立した軍記物類の記述のみで、実は合戦直後から織田方と手を結んでいたのではないかとする説が出てきているそうです。ドラマ時代考証担当の小和田哲男氏は、元康が氏真に弔い合戦を勧めたという話について、「私には、元康の『表裏ぶり』を隠蔽するため、のちの徳川御用史家が創作したものであるように思えてならない」と述べ、元康は初めから義元の死を独立のチャンスと見て動いていたのではないかと説かれています。


どうする家康 第3話「三河平定戦」 ~今川離反の決意~_e0158128_19011598.jpg

 ただ、妻の築山殿と長男の竹千代(のちの信康)、長女の亀姫が駿府に残されており、人質状態となっていたことが気がかりだったのは確かでしょう。ドラマでは描かれていませんでしたが、同じころ、今川を離反した形原松平家広、西郷正勝、菅沼定勝、菅沼定盈ら諸将の妻子たちが、氏真の命令によって城下の龍拈寺に引き出され、串刺しの刑に処されています。単に首を落としたというのではなく、串刺しという残虐な刑に処したところを見ても、氏真の怒りのほどがわかりますね。氏真にしてみれば、この処刑は元康ら離反の可能性がある諸将への見せしめだったのかもしれません。これでは、元康もうかつには動けなかったでしょう。


 ドラマは、酒井忠次石川数正の身を挺した必死の諫言により、元康が泣く泣く今川離反を決意したという展開でしたね。酒井忠次と石川数正は、のちに三河を平定した元康の両家老となる二人です。彼らの説得、実際にあったかもしれません。また、於大の方との再会のシーンは良かったですね。もちろん、このとき於大の方と再会したという記録はなく、ドラマの創作ではあるのですが、


「主君たるもの、家臣と国のためならば、己の妻や子ごとき平気で打ち捨てなされ!」


 くぅ~!かっこいい!これぞ、戦国の母です。この母の言葉で思い改めるかと思いきや、「嫌じゃ嫌じゃ、出ていけ!」・・・う~ん!いつまでも駄々っ子の元康(苦笑)。もっとも、この母の言葉どおり己の妻と子を討ち捨てることになるのですが、それは、まだまだずっと後年のことですね。



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by sakanoueno-kumo | 2023-01-23 19:09 | どうする家康 | Trackback | Comments(6)  

Commented by kumikokumyon at 2023-01-24 12:33
松潤の薄いうわ唇と「神の君」って表現が
なんとも気持ち悪いですが・・・・
段々大河らしくなっていきそうな第3回の展開でしたね。
これから迎える修羅場の数々で家康に変化が見られることを
期待いたします。
Commented by sakanoueno-kumo at 2023-01-25 18:17
> kumikokumyonさん

「神の君」っていうのは、おそらくナレーションの寺島しのぶさんが、家康の子孫とかの設定なんじゃないでしょうか?
どこかで種明かしがあるかもしれません。
薄い上唇は、許してあげてください(笑)。
おっしゃるように、今回は第1話、第2話に比べて少し大河ドラマらしくなりましたね。
このままでいってほしいです。
Commented by sabertiger54 at 2023-01-27 20:12
こんにちは、sakanoueno−kumo様
確かに面白くなってきましたね。でも大河ドラマでは無いな。自分にとって大河とは「史劇」」と思っているので。でも俳優陣は素晴らしい。特にイッセー尾形さんや大森南朋さん、松重豊さんとか。その分、松潤の演技がライトに見えてしまうんですよね。
忠次と数正の説得のシーンがありましたが元康って自分の中で決断が出来ていてもあえて周りに言わせてそれに乗っかる形をとるタイプのような気がします。でも死ぬ死ぬ詐欺といい、信長、秀吉のようなわかりやすい天才と違ってなんか不気味なんですよね。キャラの急変というか。司馬遼太郎氏の「覇王の家」の家康評が実像に近い気がします。先週のラストシーンの演出から鎌倉殿のパターン(シリアス化)に舵を切った予感が。
Commented by sakanoueno-kumo at 2023-01-27 22:09
> sabertiger54さん

<自分にとって大河とは「史劇」」と思っているので。>

わたしも基本的には同感ですが、さりとて、ドラマですから、エンターテインメントとしての面白さも必要でしょう。
その辺のバランスが難しいですね。
作り手のセンスに掛かっているといっていいでしょう。

「覇王の家」を読んだのはずいぶん昔なので細かいところは忘れちゃいましたが、気の小さい慎重な人物像でしたよね。
たしかに、若き日の信長に対してあくまで律儀な家康はそうだったかもしれませんが、たしか「覇王の家」は、関ヶ原の戦いや大坂の陣を描いてなかったですよね。
同じく司馬さんの「関ヶ原」や「城塞」では、老獪な政治家としての家康像が描かれていたと思います。
一見、別人格のように思いがちですが、慎重なところは同じなのかもしれません。
「鳴くまで待とう時鳥」ですからね。
Commented by 山城守 at 2023-04-26 21:00 x
確か、この回で松平元康(後の徳川家康)は今川氏真から「信長を討ち果たして帰ってこい」という手紙を貰って喜んでいますよね。
ここが判りません。当時の徳川家康の兵力で織田信長を粉砕できるはずがないので、普通、徳川家康の立場なら「私は今川に見捨てられたのではないか。」と激しく動揺するはずです。
そのために信長に投降したいと思う家康の気持ちと最愛の妻瀬名への思いの間で揺れ動く様を描くというスタンスならと判ります。
しかし、前期手紙を貰って喜び、張りきって信長と戦うというのは一般心理としてあり得ません。
Commented by sakanoueno-kumo at 2023-04-28 00:34
> 山城守さん

そういえば、そんなシーンがありましたね。
このドラマにおける信長と家康の関係性がいまいちわかりませんね。

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