八王子城攻城記。 その1 <登山口~金子丸~柵門跡>
過日、東京出張の折、1日だけオフがあったので、かねてから行きたかった東京都八王子市にある八王子城跡を訪れました。
八王子城は、小田原城を本拠とする北条氏の3代目・北条氏康の三男で、北条氏政の弟にあたる北条氏照が、小田原城の支城として築いた城です。

城の縄張りは、標高445 m、比高約240 mの深沢山(城山)山上に築かれた要害部と、麓の居館部に分けられます。
この日は、まず山上の城跡を目指しました。



登山口には、タイルに印刷された案内板がありました。

「史蹟 八王子城跡」と刻まれた石碑があります。

登山口には鳥居があります。
現在、山頂の城跡には八王子神社が鎮座しており、登山道はその参道になっています。
いざ、出陣!

ここを訪れたのは令和4年(2022年)8月6日。
真夏の登山道は雑草が生い茂っています。

誘導看板には、「金子曲輪・本丸」の文字が。

石垣跡がありました。
でも、おそらくこれは城跡の遺構ではないでしょうね。
きっと、かつて参道に石垣があったのでしょう。

石の鳥居があります。

鳥居を過ぎると石段が。
これも、おそらく城跡の遺構ではなく、神社の参道の名残でしょうね。

水路かな?

登山口から上るとこ約10分。
長細い削平地に出ました。

標柱には「金子丸」とあります。
さっきの誘導看板にあった金子曲輪ですね。

説明板によると、金子三郎左衛門家重が守っていたと伝わる曲輪だそうです。
金子家重なる武将をわたしは知りませんが、おそらく北条方の武将でしょうね。

天正18年(1590年)6月23日、豊臣秀吉の命を受けた前田利家、上杉景勝を総大将とする北国勢3万5000の大軍が侵攻。
このとき、八王子城主の北条氏照をはじめ主力は小田原城に詰めており、八王子城には留守を預かる横地吉信、狩野一庵ら老武将を中心に、農民、職人、さらには妻子も含めた人々が籠城していました。
その数は4000とも、わずか1000に過ぎなかったともいわれます。
横地らは必死に抗戦するも、多勢に無勢、わずか1日で落城してしまいました。

初老の叔父さんが読書中でした。

引き続き山頂を目指して行軍します。

七合目。

また削平地に出ました。

駒札には、「柵門跡」とあります。
名前の由来など詳しいことは不明とのこと。

まだまだ登山道はつづきます。

しばらく登ると、茂みのなかに石碑を見つけました。

「東京和合講社先達 邨井天界霊」と刻まれています。
意味はわかりません。

見晴らしのいい場所に出ました。

この日はあいにくの曇り空で靄っていて、さらに東京の土地勘がないこともあって、この景色がどこのものかがよくわかりません。

登山口から約20分、何か建物が見えてきました。
ようやく山頂の城域に着いたようですが、長くなっちゃったので、「その2」につづきます。
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by sakanoueno-kumo | 2023-05-25 22:27 | 東京の史跡・観光 | Trackback | Comments(2)
私もここはまだ行ったことがありません。
漠然と、もう少し平地にある平山城を想像していましたが、
やはり、それなりの山城だったんですね。
まあ、当たり前といえば当たり前なのでしょうが。
いや、貴兄のイメージは間違っていません。
八王子城は山頂の砦と麓の居館部に分かれています。
おそらく貴兄がおっしゃられているのは、麓の居館部のことかと。
今からそこを起稿します。