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どうする家康 第23話「瀬名、覚醒」 ~水野信元粛清~

 長篠・設楽原の戦いで織田・徳川連合軍が武田軍を相手に大勝利を収めた約半年後、尾張、三河にまたがって強い勢力を誇っていた水野信元が、突如、織田信長の命によって粛清されました。水野信元は徳川家康の生母・於大の方の実兄で、家康の叔父にあたります。ドラマでは、胡散臭い寝業師といったキャラで描かれてきましたが、まだ今川義元全盛の時代に小国の信長の力を見抜いて味方に付くなど、観察眼に優れた人物だったのだろうと想像します。家康を今川から離反させて信長と結びつけたのも、この信元でした。水野も元は今川に仕えていましたが、信元の代になって間もなく織田に与したといわれています。もっとも、織田の家臣となっていたわけではなかったようで、あくまで独立した大名として織田の傘下に入ったということだったようです。つまり、織田と徳川の関係に近かったのかな?(諸説あり)


 天正312月(15761月)、信長は突如、信元の粛清を命じます。その理由は、信元が武田に内通して兵糧などの援助を行っていたというもの。『松平記』が伝えるところによると、武田方に奪われていた美濃国岩村城を奪還すべく織田軍が同城を包囲した際、城内から品物を持ち出して城外で食料と交換する者がいたといい、これが水野家の者だったといいます。これを信長にリークしたのは、織田家の重臣・佐久間信盛でした。この訴えを受けた信長は激怒し、信元は一切の言い訳を許されずに処断されることになります。その処断を命じられたのは、信元の甥である家康でした。


 どうする家康 第23話「瀬名、覚醒」 ~水野信元粛清~_e0158128_20450078.jpg家康は母・於大の方の再婚相手である久松俊勝を使って信元を三河の大樹寺におびき出し、そこで家臣の石川数正、平岩親吉らに殺害させました。このとき信元を斬った平岩親吉は、信元の亡骸を抱きかかえ、「信元どのに私怨はないが、命令によりやむをえず刃を向け申した」むせび泣いたそうです。また、久松俊勝は、妻の兄である信元殺害に利用されたことをひどく悲しみ、「かかる事とも知らずして、信元迎え来て打たせたりし事の無慙さよ。世の人のかえり聞かん事も恥ずかしとて、徳川殿を深く怨み、仲違いこそしたりけれ」と述べ、出奔してしまいます。兄を殺され夫に出奔された於大の方は、これを主導したのは石川数正だとして、こののち深く憎むようになったといいます。信元の粛清は、徳川家に大きなしこりを残しました。


 どうする家康 第23話「瀬名、覚醒」 ~水野信元粛清~_e0158128_21053316.jpgもっとも、この水野信元粛清の理由については諸説あって、真実はわかっていません。一説には、武田への内通自体が冤罪だったのではないかとも言われています。リークした佐久間信盛と信元の間にはかねてから確執があり、信盛の罠にはまったとの見方もありますが、そもそも信盛の讒言を信長が鵜呑みにし、問答無用で信元の処断を命じたことに違和感をぬぐい切れません。劇中、五徳姫築山殿に対して「わが父は、裏切りは決して許しませんから」と言っていましたが、実はそんなことはなく、松永久秀2度の裏切りを許されていますし、のちに謀反を起こす荒木村重にも、挙兵当初に何度も考え直すよう説得しています。信長は有用と思った者には寛大で、多少の裏切りは許す度量がありました。ところが、なぜか水野信元に対しては、問答無用で粛清しました。信元が有用じゃなかったといってしまえばそれまでですが、桶狭間の戦い以前から信長に味方してきた信元を、信長が軽視していたとは思えません。


 そこで着目すべきは、信元が粛清されたのが、長篠・設楽原の戦いに信長・家康が勝利して、武田の脅威がなくなった直後だったということ。そのことから想像できるのは、武田との決着が着く前は水野の持つ強大な軍事力を必要としていたものの、武田の脅威がなくなった今、尾張、三河に大きな勢力(一説は24万石とも)を持つ信元が目障りな存在となり、佐久間の讒言を利用して信元を排除したのではないか・・・とも考えられます。そしてその思いは、三河を領する家康も同じだった、と。つまり、信元の謀殺は、織田と徳川の利害が一致した粛清だったということです。そう考えれば、家康が信長の命に背くことなく叔父の信元を殺したことも頷けますね。


信元の死後、その所領は讒言した佐久間信盛に与えられますが、その4年後に信盛が追放されると、信長は信元の内通は冤罪だったとして、信元の弟の水野忠重を呼び寄せ、水野家の所領を回復させます。その後、江戸時代に入ると、水野家は徳川家の譜代大名として幕府の重職である老中をたびたび輩出し、幕末までつづいていきます。さすがは寝業師・水野信元の血脈、簡単には滅亡しませんね。


 水野信元粛清の話だけで長くなっちゃいましたが、ドラマは於愛の方(西郷局)が出てきましたし、信康事件に向けて不穏な動きが見え始めましたね。築山殿はいったい何をしようとしているのか・・・。次回、その答えが見られそうです。



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by sakanoueno-kumo | 2023-06-19 21:30 | どうする家康 | Trackback | Comments(2)

 

Commented by sabertiger54 at 2023-06-21 17:57
こんにちは。
水野信元の子孫が老中を輩出していた、水野家だとは知りませんでした。有名な水野忠邦は彼の子孫なのでしょうかね?おっしゃられる通り信元は信長と家康の利害が一致したのだと思います。家康は信長、秀吉よりずっと怖いと思いますよ。

すいません(^_^;)、少し告知を。私がYouTubeでチャンネル登録している戦国解説動画
〈よしふじ戦国チャンネル〉
https://youtube.com/@Yoshifuji-Sengoku
大変素晴らしいです。特に桶狭間後の家康の野戦機動などマニアックな他所では観られない解説動画があります。メンバーになる余力がないため各所で宣伝しております(笑)。もし、よろしければご覧下さいませ。
Commented by sakanoueno-kumo at 2023-06-22 11:46
> sabertiger54さん

正確には、水野忠邦は水野信元の弟・水野忠重の子孫ですね。
一説には、信元と忠重の兄弟仲は悪く、信長と家康の信元粛清の談合に、忠重も関わっていたのではないか、なんて憶測もあるみたいです。
ってことは、信長と家康、そして忠重の利害が一致した粛清だったといえるかもしれませんね。

ご紹介いただいたYouTube、時間のあるときに観てみます。
ありがとうございます。

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