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武蔵滝山城攻城を歩く。 その1 <三ノ丸・小宮曲輪・千畳敷・西馬出>

八王子城跡から直線距離で北東約8kmのところに、滝山城跡があります。

滝山城は、北条氏照が八王子城を築く前に居城としていた城でした。


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現在、城跡は滝山城址公園として整備されており、観光客用の無料駐車場もあります。

関西に住むわたしとしては、東京は駐車場代が高いというイメージなんですが、東京都内でもただで停めさせてくれる駐車場があるんですね。


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駐車場内に設置されていたイラスト看板


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登山口近くに設置されていた石碑です。

「続日本100名城」と刻まれているので、最近つくられたものですね。


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登城口の看板。

向こうに見える森が、滝山城跡です。


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天野坂と呼ばれる進入路です。

かつてここが大手道だったとする見方もあるようですが、他にも登城ルートはあり、どのルートが正規ルートかは分かっていないそうです。


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微妙に折れ曲がった道と、説明板があります。


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説明板によると、かつてこの先に枡形虎口があったようですが、今は消えてしまっているようです。


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その枡形虎口跡の東側には、三ノ丸の高い切岸がそびえます。


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そして深い堀切

説明板には堀底から三ノ丸台上までは15mほどあると書かれていましたが、そこまではないような気が・・・。

でも、10mはありそうでした。


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堀底から見た三ノ丸切岸


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そして三ノ丸西側には、小宮曲輪という名の曲輪があります。

行ってみましょう。


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虎口跡かどうか微妙ですが、小宮曲輪の説明板が設置されています。


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説明板によると、小宮曲輪の由来は、氏照の家臣の小宮氏によるものだそう。


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小宮曲輪です。


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細長い曲輪ですね。

ここを訪れたのは夏真っ盛りの令和4年(2022年)86日。

雑草が生い茂っていて、曲輪の広さとかがイマイチわかりづらいですね。


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ここを北西に進むと、まだまだ曲輪群がつづくようですが、時間の都合上、三ノ丸に戻ります。


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三ノ丸への登り口です。


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三ノ丸です。

ここも草ボーボーです。


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三ノ丸は三方を深い堀切で囲われています。


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三ノ丸から見下ろした東側堀切


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堀底に降りてきました。

堀切が大きすぎて、V形状の全体が写真に収まりません。


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三ノ丸を降りて、また登城道に戻ります。


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説明板には、「コの字型土橋」とあります。


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道は右折して、


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次は左折


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三ノ丸の北東に、千畳敷と呼ばれる曲輪があります。


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その名のとおり、広い曲輪です。


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滝山城の始まりは、大永元年(1521年)、山内上杉氏の重臣で武蔵国守護代の大石定重が築城したものと伝わります。

武蔵国守護代の大石氏は藤原秀郷の子孫といわれ、室町時代初期に大石為重が関東管領上杉憲顕に仕えたことで知られます。

天文15年(1546年)、北条氏康扇谷上杉氏を滅ぼすと、北条氏は武蔵国をほぼ支配下に収めました。

山内上杉氏に属していた大石定久は、氏康の三男・氏照を娘の婿養子に受け入れることで、滝山城と大石氏の家督を守り、自身は隠居して戸倉城へ移ります。

大石氏を継いだ氏照は、永禄元年(1558年)頃に滝山城の大改修を施したといいます。

現存する城の遺構は、そのときのものと考えられます。


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千畳敷の西側には馬出があり、その間には堀切があります。


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反対側から見た堀切


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馬出と堀切の間には、土塁が盛られています。


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馬出です。


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その説明板。


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さて、城跡はまだまだ続きますが、長くなっちゃったので、つづきは「その2」にて。




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by sakanoueno-kumo | 2023-06-22 13:44 | 東京の史跡・観光 | Trackback | Comments(3)

 

Commented by heitaroh at 2023-06-22 18:02
滝山城は初めて知りました。
もしかして、神戸から車で行かれたんですか?
一日で二つ?
近くても上まで行って・・・であれば、結構、ハードスケジューコースですよね?
Commented by heitaroh at 2023-06-22 18:53
ちょっと話は違うのですが、博多にも馬出(まいだし)という地名があり、地下鉄の駅名にもなっているのですが、先日、ふと、「そう言えば、そもそも、あそこは何で馬出なんだろう」と思いました。
福岡城とはまったく場違いで、鎮西探題とも思われず、元寇の時代に九州に馬出があったようにも思えません。
馬出は元々は何か別の施設から発展したものだったとかありますか?
Commented by sakanoueno-kumo at 2023-06-23 15:23
> heitarohさん

いえいえ、昨夏に出張で東京に6日間滞在していたのですが、1日だけオフ日があったので、レンタカーで攻城しました。
この2城はどうしても行きたかった城だったので。
でも、中央道が渋滞していたのと、八王子城で時間を取り過ぎたため、滝山城は駆け足になっちゃいました(泣)。
でも、1日2城は普通ですよ。
城めぐりで知り合った人たちは、1日に5、6城めぐる人もざらにいます。

城郭でいうところの「馬出(うまだし)」は、戦国時代、主に東日本の城で発展した防御曲輪です。
武田とか真田の城によく見られますね。
近世城郭になると西日本でも見られるようになりますが。
博多の馬出(まいだし)の由来は、ちょっとわからないですねえ。
いま地図で見ましたが、めっちゃ海沿いですね。
であれば、やはり元寇と関係していたんじゃないでしょうか?
元寇では東国の北条氏が出張してきて指揮をとったわけですから、ここに馬出のような機能をもつ砦を築いていたとか?
スミマセン、想像で適当なこと言ってます(汗)。

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