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瀬戸内海を望む現存天守、讃岐丸亀城を歩く。 その4 <二ノ丸>

「その3」のつづきです。

丸亀城三ノ丸北側に戻ってきました。


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長崎櫓台石垣下西側から見上げた天守です。


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いうまでもなく丸亀城天守は全国にある現存12天守のうちのひとつですが、そのなかで2番目に小さいのが丸亀城天守です。

現存天守最大の姫路城31.5あるのに対し、丸亀城天守は14.5

半分以下です。

(ちなみに最少は備中松山城で、約11m)


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天守3階屋根は入母屋破風


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その下に格子窓があります。


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そして2階部分には唐破風が。


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石落としもありますね。

小ぶりだけど、立派に天守櫓の機能を持っています。


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なぜ石落としがあるかというと、ここが二ノ丸への登り口になっているから.

でも、二ノ丸大手門は東側にあるので、こっちは搦手門になるのかな。


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二ノ丸へ登りましょう。


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見上げると、上から天守の石落とし攻撃されます。


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振り返ると、高石垣。


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長崎櫓台石垣。

往時はここにがあったようです。


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長崎櫓跡は、石垣高約12、広さ東西5(約9.4m)、南北47.6m)で、石垣上部から60cmの深さに建物の礎石が見つかったそうです。


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二ノ丸に登ってきました。


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北側に多門櫓跡石垣が東西に長く伸びています。


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その東端にある隅櫓台跡


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北に瀬戸内海が見えます。


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生駒親正によって慶長2年(1597年)に築かれた当時の丸亀城は、大手門が今と逆の南側にあったそうで、もともとこの城は、背後の瀬戸内海を天然の堀として、平野が広がる南からの敵を想定した構えだったそうです。


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瀬戸大橋が見えます。


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瀬戸大橋にズームイン。


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真東には青ノ山が見えます。

ここも城跡っぽい形に見えるのですが、違うのかなあ・・・。


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そこから南へ目を移すと、美しい円錐形の山が。


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この山は飯野山というそうで、讃岐富士と呼ばれているそうです。

四国百名山、四国百山、新日本百名山に選定されているそうです。


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その向こうにも、同じような円錐形の小さな山が見えます。

この山は堤山という山で、羽床富士と呼ばれているそうです。

香川県にはほかにも似たような山が全部で7か所あるそうで、讃岐七富士と呼ばれているのだとか。

「〇〇富士」と呼ばれる山は、日本中にありますね。


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二ノ丸を歩いてみましょう。


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元和元年(1615年)、徳川幕府の一国一城令によって丸亀城は一度は廃城とされてしまいますが、寛永15年(1638年)に九州で島原の乱が勃発すると、海外のキリスト教国反幕府勢力が結びつくことを警戒した幕府は、水際防御の重要性を認識し、西国から江戸に向かう水運の要所である西讃岐に築城の名手といわれた山崎家治を入れて、ここ丸亀城の再建を進めました。


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現在の丸亀城の縄張りは、山崎氏時代に整備されたものと考えられるそうです。


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二ノ丸へは北側の搦手門から上がってきましたが、大手門は東側にあります。

こちらは上から見下ろした二ノ丸大手門


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枡形門になっているのがわかりますね。


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二ノ丸大手門の外側に降りてきました。


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左へ曲がらされて・・・。


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続いて右に曲がらされます。

もちろん、往時はこの石垣の上に櫓門があったのでしょう。


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さて、二ノ丸まで攻略したので、いよいよ丸へ攻め込みます。

「その5」に続きます。




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by sakanoueno-kumo | 2023-09-01 21:04 | 香川の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)

 

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