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どうする家康 第34回「豊臣の花嫁」 ~天正大地震と朝日(旭)姫の輿入れ~

 石川数正の調略に成功した豊臣秀吉は、対徳川家康対策をふたたび強硬姿勢に転換、東に兵を向けます。一方の徳川方も、数正出奔を機に軍制を武田流に改める改革を行い、羽柴軍襲来に備えます。かくして豊臣、徳川両軍の激突が目前に迫った天正131129日(1586118日)亥の刻(午後10時頃)、内陸部を中心とする推定マグニチュード7.28.1の大地震が、関西、中部地方を中心とする地域を襲いました。世にいう「天正大地震」です。

 この地震は家康より秀吉の領国に甚大な被害をもたらし、その結果、家康との開戦どころではなくなってしまいます。そこで、秀吉はこれを機に、打倒家康の強硬策から、上洛を促す融和策へと対家康政策を転換してくことになります。ここも、歴史のひとつの大きなターニングポイントですね。もし、この地震がなければ、徳川は秀吉によって攻め滅ぼされていたかもしれず、仮に滅亡は免れたとしても、大幅に領地を削減され、どこか遠くに転封になっていたでしょう。となれば、のちの江戸幕府250もなかったかもしれませんね。そのとき歴史が動いた瞬間だったといえるでしょうか。

 どうする家康 第34回「豊臣の花嫁」 ~天正大地震と朝日(旭)姫の輿入れ~_e0158128_16083369.jpgその後、あらためて和睦交渉が行われ、織田信雄の仲介によって和議が成立しました。ところが、家康はそれでも秀吉からの再三に渡っての上洛要請無視しつづけます。家康にしてみれば、和議は受け入れたものの臣下に入ったわけではない、という意思表示だったのでしょう。何とか家康を軍門に降らせたい秀吉は、実妹朝日(旭)姫を家康の継室として差し出すという奇策にでます。家康は、これより7年前に正室・築山殿を死に追いやって以来、正室を置いていませんでした。そこにつけ込んだ秀吉の懐柔策。家康としては、元は卑賤の出である秀吉の妹とはいえ、今をときめく関白殿下の妹君との縁談とあっては、断る理由が見当たるはずがありません。このとき朝日姫は、姫とは名ばかりの4。令和の現代ならまだまだ“女ざかり”といえますが(私としては十分ストライクゾーン・・・笑)、人生50年のこの時代では“老桜”といってもいい年齢でした。新妻とはとてもいい難く、後世の誰がどの角度から見ても、人質以外の何ものでもない形式だけの輿入れでした。

 このとき朝日姫には、夫がいたといわれ、秀吉に無理やり離縁させられたと伝わります。夫の名は佐治日向守という名と副田甚兵衛という名の二つの説が伝わっており、前者の佐治日向守説では、朝日と離縁させられたことを悲憤慷慨して自刃した・・・と伝わり、後者の副田甚兵衛説では、秀吉から離縁の条件として出された5万石の加増を蹴って出奔した・・・と伝わります。また、佐治日向守の死亡後、副田甚兵衛と再婚したとする説や、副田甚兵衛の別名が佐治日向守だったとする説もあり、結局のところどの説も決め手はないようですね。ただ、こうして複数の伝承が残っていることからみても、朝日姫が家康に輿入れする際、秀吉に前夫と離縁させられたという逸話は、どうやら正しいように思えます。朝日姫にしてみれば、兄が天下人となったがために降りかかった不幸。令和の現代でも、普通の人生を送るはずだった凡人が、異常な出世を遂げた優秀な兄弟を持ったばかりに、凡才の兄弟の生活まで翻弄され、逆に不幸な人生となってしまう・・・そんな話、珍しくないのではないでしょうか。

 どうする家康 第34回「豊臣の花嫁」 ~天正大地震と朝日(旭)姫の輿入れ~_e0158128_20450078.jpgそんな秀吉の懐柔策も虚しく、家康は尚も上洛しようとしませんでした。それでもあきらめない秀吉は、とうとう次なる手として、「嫁いだ娘の病気見舞い」という名目で、実母である大政所を人質として送り込みます。これに根負けした家康は、ようやく重い腰を上げ、上洛を決意しました。お互い「海千山千」のこの二人の駆け引きは、これまでも多くの物語で描かれてきた見応えのあるエピソードですね。家康にしてみれば、すでに九州を除く西国諸侯を統一していた秀吉に勝ち目はなく、いずれは上洛して臣下の礼を取らなければならないのは明白でしたが、九州征伐に向けて兵力を温存したい秀吉の心中を逆手にとっての引き伸ばし策だったのでしょう。この策により家康は、しびれを切らした秀吉に妹どころか母親まで差し出させ、自分を高く売ることに成功したといえます。「関白秀吉にそこまでさせた家康」という畏怖心を、周囲の諸侯に植えつけたわけですね。一方で、関白が妹と母親まで差し出しているのに尚も挨拶に出ていかなければ、「家康は臆病者」との悪評が立つ恐れもあります。秀吉にしてみれば、それを見越した作戦だったといえるでしょう。権謀術数の限りを尽くした、まさに「狐と狸の化かし合い」でした。


 どうする家康 第34回「豊臣の花嫁」 ~天正大地震と朝日(旭)姫の輿入れ~_e0158128_19432147.jpg石川数正出奔の理由については諸説ありますが、前回当ブログで予想したとおり、自己犠牲説でしたね。昭和58年(1983年)の大河ドラマ『徳川家康』でも、数正の自己犠牲説で描かれていました(ちゃんと覚えてなかったのですが)。たしかに、あのまま数正が家中にいたら、強硬論の家臣たちを抑えることができず、結果、秀吉と戦って徳川は滅んでいたかもしれません。数正の出奔が冷静さを取り戻す劇薬となったかもしれないと考えると、数正の自己犠牲説は、あながち的外れではないように思えますね。


 ちなみに、秀吉の家臣となった数正は、石川出雲守吉輝と名を改め、秀吉から河内国内で8万石を与えられましたが、目立った活躍は伝わっていません。劇中、「飼い殺し」という言葉が出てきましたが、あるいはそうだったかもしれませんね。ただ、のちに家康が関東に移ると、数正は秀吉より信濃国松本10万石に加増移封され、そこで松本城を築城に着手しました。現在に伝わるあの雄大な松本城の天守は、数正が手掛けたものです。数正が出奔していなければ、あの天守はなかったか、違うものだったでしょうね。残念ながら数正は城の完成を見ずにこの世を去りますが、数正の生きた功績は、国宝天守というかたちで現代に伝わっています。


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by sakanoueno-kumo | 2023-09-04 16:10 | どうする家康 | Trackback | Comments(8)

 

Commented by BEATLES II at 2023-09-06 11:31
今回はとてもまとまりが良く内容も濃くて良かったです。
2人の女優さんがとても良かった、木村多江さんと朝日姫役の山田真歩さん、あ〜安心して大河を見てる〜って思えました、なぜでしょう⁈
あと、人生が180度変わっってしまった2人、数正と朝日姫を並行して上手に描いていました。
また、ユーモアシーンも過去一笑えました、“おいリレー”これアドリブから生まれたみたいですね、家臣団の役者さん達の息が合ってきたのかも。
ただ一つ注文つけるとしたら、泣き過ぎかな、特に家康、よく泣くしわんわん泣き過ぎ…なぜか泣くシーンでもらい泣きできないんですよね〜今回の大河。
例えば今回のシーンだったら…家臣一同がいる場ではみんなぐっと堪えて、自分の家なり1人になった時に、ツーっと涙を流すなり、わんわん泣くなりして、で家康だけは1人月を見上げて、逆に泣かないとか、せめて唇噛みながらツーっと涙を流してるシーンの方が私は泣けたかな〜。
今後は“漢の渋さ”を徳川家の男子に期待します!
Commented by sakanoueno-kumo at 2023-09-07 02:16
> BEATLES IIさん

おっしゃるとおりですね。
涙はドラマのエッセンスとしては効果的ですが、泣きゃあいいってもんじゃない。
感動を呼ぶには、ここってところで泣かないとね。
とは言え、ようやく大河ドラマらしくなってきた感じなので、今後に期待しましょう。
Commented by sabertiger54 at 2023-09-09 16:21
こんにちは。
磯野道史先生もこの天正地震で家康が救われたと言われてますがその通りだと思います。
1755年のリスボン大地震でポルトガルが衰退していったように災害での社会インフラの壊滅は戦争での大敗と同義ですよ。家康は本当に運がいいですよね。そして多分人間にとってはそれこそが最強でしょう。
石川数正の出奔はドラマでは自己犠牲でしたが私が思うに単に徳川家中に居づらくなったのではないかと。徳川家臣団は確かに絆も団結もありますが一方で排他的で異論を排し、意固地になるところもあったかと。司馬さんには秀吉がアメリカ軍、徳川家臣団が本土決戦を叫ぶ旧陸軍的なイメージがあったのでは。石川数正はその点正しく中央情勢を理解していたと思います。
現代人の悪癖で直ぐに未来の結果から逆算して感情移入しますがその時点では何がどうなるか全くわからないのですから。
朝日姫役の女優さんはいい味出してましたね。次回は上洛臣従という例の「殿下に二度と陣羽織は着させません」でしょうがこの場面もYouTubeで歴代大河の場面を観るとそれぞれ特徴があって楽しいです。
次回が楽しみです。
Commented by sakanoueno-kumo at 2023-09-09 18:21
> sabertiger54さん

あっ、舌足らずですみません(筆足らず?)。
前話の稿で司馬さんの言葉を引用しましたが、あれは家康のことを指しているわけではなく、日露戦争から第二次世界大戦への道筋での言葉です。
それを、わたしが勝手にこのときの徳川家中に置き換えただけです。
でも、的外れではないとい思うんですね。
おっしゃるように、数正の出奔理の通説は、強硬論のなか一人融和論だった数正は孤立していき、居づらくなったというのが通説ですね。
わたしも、そう思っていました。
ところが、この自己犠牲説を聞いたとき、なるほどあり得なくもないな、と思ったんです。
小牧長久手の戦いで勝利した徳川家中は、勝利の美酒に酔って秀吉の力を見くびっていた、これは確かだと思います。
明らかに大金星なのに。
敵を知り己を知れば百戦危うからずといいますが、明らかに己より強い敵に勝ったとき、人は自己を過信し、敵を過小評価するようになるものなのでしょう。
日露戦争で大国ロシアに勝った日本のように。
そうすると、家中は強硬論の方が強くなり、融和論など語ろうものなら、たちまちその弱腰を非難されて立場がなくなる。
これが小牧長久手の戦い後の徳川家であり、日露戦争後の日本であったのだろうと。
徳川も明治日本軍も、勝つはずのない相手に勝ってしまったわけですよね。
そこで、徳川家の場合、国の参謀長官的な数正が敵に寝返っちゃったわけですから、家中は冷静さを取り戻すしかなかったでしょう。
あまりにもタイミングが良すぎです。
数正の自己犠牲だったのか、あるいは家康の指示だったのか、いずれにせよ、数正の出奔は有頂天になった強硬論者たちの熱を冷ますには十分すぎる出来事だったかと。
わたしは、数正の出奔は、徳川が豊臣に滅ぼされないための策だったと思いますね。
残念ながら、昭和初期の日本に数正はいなかったですね。
Commented by 博多の虎(夜のみ) at 2023-11-12 01:16
 厳しい言い方をすれば「比較的マシだった回」…ずっと感じていたのがこのドラマ「出演する方々がみな下手に見える」気がしていたのですが…BEATLES Ⅱさんの

>ただ一つ注文つけるとしたら、泣き過ぎかな、特に家康、よく泣くしわんわん泣き過ぎ…なぜか泣くシーンでもらい泣きできないんですよね〜今回の大河。

…というコメントからその理由が分かった気がします。よくスポーツ(野球での投球や,あとサッカーやバスケのドリブルなど)で「緩急」と言われますが,同じような言い方をするなら「動」と「静」のメリハリがない…感情表現が極端に言えば「動一辺倒」な気がするんですよね。もちろんそういう「静」で感情表現できる俳優さん(がほとんど)なのでしょうけど…それこそ第33話のラスト,大阪城の廊下で振り返る石川数正夫妻(松重豊さん・木村多江さん)のような「静の演技」をもっと使えば…と俳優さんたちもやきもきされているのではないでしょうか…。

 あとは「瀬名の回想復活」使いすぎでしょうね。退場後ほぼ「回想で皆勤」状態じゃないでしょうか,数えているわけじゃないけど…。正直「どうせまた出てくるんだろうな…ハイ,来ました」感がありましたし…ここで使うなら,「とっておく」方がよかったんじゃないかな。そして「信康のことももう少し思い出してやれよ」と思ったのも私だけでしょうか?
Commented by sakanoueno-kumo at 2023-11-14 19:03
> 博多の虎(夜のみ)さん

緩急の部分はおっしゃるとおりだと思います。
演出が下手ってことですね。
瀬名の回想復活、最近はあまり出てこなくなりましたよ?
まあ、最終回には絶対出てくるでしょうけどね。
信康のことももう少し思い出してやれよ・・・たしかに(笑)。
Commented by 博多の虎(夜のみ) at 2023-11-14 23:22
すみません。私の説明というか,言葉が明らかに不足していました。瀬名の回想復活は「第34話時点ではほぼ皆勤」だったように記憶しています…って書かないと,確かにこれを書いているのは第43話でしたからね。失礼しました。

まあ,いずれにせよ「過ぎたるは及ばざるがごとし」と言ったところでしょうかね。(瀬名の最期が「神回」と呼ばれるにふさわしいものだったとしても…もっともそもそも「神回」からは程遠い…どころか放送事故レベルですらあったけどね。)
Commented by sakanoueno-kumo at 2023-11-16 16:11
> 博多の虎(夜のみ)さん

ああ、そういうことだったんですね。
放送事故であろうと何であろうと、この物語で瀬名の死以後の家康の行動原理は、瀬名のお花畑構想にあるわけですから、もう変えようがありません。
今から変えたら逆に辻褄があわなくなりますからね。
覚醒して関ヶ原の戦いで三成を葬り去った家康も、このあと最終回で豊臣を滅ぼす家康も、すべてお花畑構想のため。
それでいくしかないでしょうね。

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