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どうする家康 第35話「欲望の怪物」 家康上洛

 どうする家康 第35話「欲望の怪物」 家康上洛_e0158128_20393670.jpg天正14年(1586年)1014日、浜松を発って上洛の途についた徳川家康は、同月20日に岡崎で大政所の到着を見届け、同月27日に大坂城にて豊臣秀吉と対面しました。その前夜、豊臣秀長邸を宿所としていた家康のもとにとつぜん秀吉が単身おとずれ、「明日の会見で某(秀吉)は尊大に振る舞うので、其許(家康)は慇懃な態度で平伏して欲しい」と依頼し、酒を酌み交わしたというエピソードはあまりにも有名ですね。これ、いかにも作り話っぽい逸話ですが、実はこの話、徳川家の正史『徳川実紀』に記されているエピソードで、その出典元は、当時の家康の家臣・松平家忠が残した『家忠日記』によるものです。後世が創作した英雄伝承ではないんですね。


 「明日廿七日関白様より御対面可被成候処、秀吉待かね被成、其夜御宿へ御越、殿様御手をとらせられ候て、おくの御座敷へ被成御座、御存分被仰、御入魂共中々無申計也」


 ただ、これを読むと、そこには奥のお座敷で入魂に話し込んだとあるのみで、秀吉が家康に謙って頼み込んだという話はありません。どうやら、これは後世の脚色のようですね。イマ風に言えば、ちょっと「盛った話」ですね(笑)。


 また、家康が秀吉の陣羽織を所望したという話も有名ですが、これも『徳川実紀』に記されている話です。


 「君その時殿下の召されし御羽織を某にたまわらんと宣へば、秀吉これはわが陣羽織なり。進らすることかなわじといふ。君御陣羽織とうけたまはるからは猶更拝受を願ふなり。家康かくてあらんには、重ねて殿下に御物具着せ進らすまじと宣へば、秀吉大によろこばれ」


 どうする家康 第35話「欲望の怪物」 家康上洛_e0158128_20450078.jpgこれまでの作品では、この陣羽織の所望は家康の機転によるものとして描かれることが多かったように思いますが、今回のドラマでは、これも秀吉のシナリオとして描かれていましたね。まあ、それもありかもしれません。ただ、通常、前夜のお忍び会見から大坂城での謁見のシーンは、「人たらし」といわれる秀吉の大胆な政治力と、その秀吉の依頼に応える家康の器の大きさを知る象徴的な逸話で、また、互いの腹を探りながらの狐と狸の化かし合いが、何度見てもハラハラ出来るシーンなんですが、今回のドラマでは、そんな雰囲気ではなかったですね。今回のドラマでは、ふたりの密談という描き方ではなく、家臣団も交えて大接待したという設定。これじゃあ、謁見前夜に会ってたって噂はすぐに広まっちゃいますね。秀吉の人たらしぶりって、こういうのじゃないんですよねぇ。まあ、もとよりこの逸話が史実かどうかもわかりませんから、どのような解釈で描いても間違いとは言えませんが、定番は定番であってほしいと思うのはわたしだけでしょうか?


 この陣羽織云々の話が、もし家康の機転によるものではなく秀吉に言わされたものだったとしたら、秀吉は自分の描いたシナリオ通りにすべて事を運んで、最後の臣従の言葉まで家康の思い通りに言わせなかったことになりますね。これ、家康にとってはものすごい屈辱だったんじゃないでしょうか。


 「人を知るには、下から見上げるべし。兄は、昔から言うておりました。人は相手を下に見ているときに本性が現れると。」


劇中の秀長の台詞ですが、これ、名言ですね。心に留めおきたい言葉です。


 同年124日、家康は本城を17年間過ごした浜松城から、駿河国の駿府城へ移しました。この移転は急なことだったようです。今川の没落後、荒れ果てていた駿府城の整備はこの前年から進められていたようで、当初は、この本城移転は対秀吉との戦準備だったと思われます。しかし、秀吉との和睦が成立した今、あわただしく移転しなければならない理由が見当たりません。したがって、おそらくこれは秀吉からの要請だったのでしょうね。その対象は言うまでもなく東の北条。秀吉にしてみれば、家康を臣従させた今、次のターゲットは北条でした。秀吉はそのために家康を駿府に行かせたと思われます。交渉による説得であれ、軍事発動による討伐であれ、秀吉は家康に期待するところ大だったのでしょうね。そして、その火種となるのが、真田の沼田領問題でした。ちなみに、のちに因縁の関係となる真田昌幸と徳川家康ですが、通説に従えば、このとき家康43歳、昌幸40。家康の方が3歳上なんですね。ドラマでは、どう見ても家康は昌幸の息子ぐらいに見えますね。



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by sakanoueno-kumo | 2023-09-18 17:12 | どうする家康 | Trackback | Comments(4)

 

Commented by heitaroh at 2023-09-23 20:46
>「人を知るには、下から見上げるべし。兄は、昔から言うておりました。人は相手を下に見ているときに本性が現れると。」

見てませんが、まさしく、至言ですね。
私も同様のことを思ったことがあります。
「上から下はあきれるほど見えないが、下から上はあきれるほどに見える」
いくら下と言っても、俺に見せちゃいかんやろうというのも、まったく、あけすけでしたからね。
Commented by sakanoueno-kumo at 2023-09-25 18:12
> heitarohさん

おっしゃるとおりですね。
もっとも、この年になると、上より下を相手にする場合が圧倒的に多いわけで・・・。
(あくまで仕事上のことですが。人生の先輩はまだまだたくさんいます)
肝に命じないとあきませんね。
あくまでドラマの台詞ですが、実際の秀吉も、きっと上がたくさんいたときは痛いほどわかっていたでしょうに、上がいなくなってしまったとき、自分が下だったときのことを忘れてしまうのでしょうね。
Commented by 博多の虎(夜のみ) at 2023-10-01 17:47
 家康と真田昌幸の年齢差逆転問題は,他のネット記事やSNSでも再三指摘されていますが,3,4歳差なら「逆に見える」というのも別に普通にあり得る話だとは思うので…それは「ツッコミどころ」とまでは言えないでしょうけど…単純に真田昌幸(家康と比較してとかではなく)老けすぎでしょう?「あれ?佐藤浩市さんが演じるのって真田幸隆だったっけ?」って思いましたよ。

 佐藤浩市さんは老いても若々しい俳優さんですから,必要以上の「老けメイク」は少なくともこの時点では不要だったと思うのですが…このドラマの脚本家や演出は「真田昌幸は生まれた時からおじいちゃんだった」とでも思っていたのでしょうか?
Commented by sakanoueno-kumo at 2023-10-03 10:01
> 博多の虎(夜のみ)さん

おっしゃるとおりですね。
大河ドラマでの俳優さんの年齢的矛盾は、ある意味仕方がないとは思うんですよ。
主役の俳優さんは若き日から晩年まで長く演じますからね。
一方、ある時期しか出てこない役の人は、相応の年齢の俳優さんがキャスティングされますから。
昔、中井貴一さん演じる武田信玄と、息子の義信役の堤真一さんとが2歳ほどしか違わないということがありましたし、一昨年の「青天を衝け」では渋沢栄一役の吉沢亮さんより、孫の敬三役の俳優さん(名前わすれた)の方が年上だったり(笑)。
でも、メイクと俳優さんの演技力で違和感なかったのがスゴイなぁと。
今回の場合、この段階では家康も昌幸もこのときまだ40代。
人生50年の時代ですから、40代といっても今より老けていたでしょうけど、あの老けメイクはよくわからないですね。
有名な肖像画に寄せたから?
あの肖像画はたしかに老人に見えますが、今ではあれが息子の信之の晩年じゃないかともいわれているようで・・・。
どっちにしても、よくわからない演出ですね。

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