人気ブログランキング | 話題のタグを見る

どうする家康 第36話「於愛日記」 ~西郷局の死と鳥居元忠の側室~

 徳川家康の側室のひとりである於愛の方は、天文21年(1552年)に遠江国西郷村に生まれたと伝わります。家康より9歳下となりますね(永禄4年(1561年)生まれ説もあります)。遠江の武将・戸塚忠春の娘といわれ、はじめ母方のいとこである西郷義勝に嫁ぎ、一男一女を授かったといいますが、義勝が戦死し、義勝の叔父にあたる西郷清員の養女となります。家康の側室となったのは天正6年(1578年)頃と言われますから、於愛の方26のときとなりますね。永禄4年説だと18だったことになりますから、子持ち未亡人だったことを思うと、やはり天文21年生まれ説の方が正しいかもしれません。側室となった理由は、容姿がたいそう美しく、教養もあったとされる於愛の方の噂が家康に伝わって見初めれたとの逸話が残されています。


どうする家康 第36話「於愛日記」 ~西郷局の死と鳥居元忠の側室~_e0158128_20252704.jpg その後、西郷局と呼ばれるようになった於愛の方は、家康との間に、のちに江戸幕府第2代将軍となる徳川秀忠と、のちに尾張清州藩主となる松平忠吉の二人の息子を授かります。彼女はたいそう美人で、また温和誠実な人柄であり、家康の信頼厚く、周囲の家臣や侍女達にも好かれていたいわれ、三方ケ原の戦い、長篠・設楽原の戦い、小牧・長久手の戦いなど、いくさが続いた家康の苦難の時代を支えました。しかし、豊臣の時代となり、家康とともに浜松城から駿府城へ移ると、その心労が重なってか、天正17年(1589)、その生涯に幕を閉じます。天文21年生まれ説にしたがえば、37年の生涯でした。


 於愛の方が極度の近眼だったというのは、実話だったようですね。ドラマでも描かれていたように、彼女はとりわけ盲目の女性に同情を寄せ、衣服や飲食を施して生活を保護していたといいます。そのため、於愛の方が死去すると、大勢の盲目の女性達が連日のように寺門の前で彼女のために後生を祈ったといいます。ドラマでは、男女問わずでしたね。このあたりもジェンダー平等でしょうか?


 また、築山殿の死後、於愛の方は家康の正室となっていたのではないかとする説もあるようです。その根拠としては、当時の家康の家臣・松平家忠が残した『家忠日記』に、彼女のことを「西郷殿」と記していることによります。「殿」という呼称は通常正室に用いられるもので、側妾に対して用いられる呼称は「局」でした。この説が正しければ、正室である築山殿が死去した天正7年(1579年)以降、唯一の妻であった於愛の方が正室となっていたことになります。その後、豊臣秀吉の妹である朝日姫を正室として迎えますが、当時はまだ武家の一夫一妻制は確立しておらず、引き続き正室と同格とされる「次妻」として遇されていて、「西郷殿」と呼ばれていたのではないか、という推論だそうです。実際、「西郷局」という呼称は『徳川幕府家譜』などの江戸時代以降の史料しか登場しないそうです。そういえば、淀殿も同じですね。この時代の側室は、江戸時代のそれと違って正室と同等扱いだったということかもしれません。


 淀殿で思い出しましたが、やはり北川景子さん一人二役でしたね。それも、お市の方とは似ても似つかない悪女キャラのようです。今後の展開が楽しみですね。


どうする家康 第36話「於愛日記」 ~西郷局の死と鳥居元忠の側室~_e0158128_20323631.jpg 今回のもうひとりの主人公は千代でしたね。まさか武田家重臣・馬場信春の娘だったとは。鳥居元忠が家康の命に背いて馬場信春の娘を側室にした話は実話とされています。天正壬午の乱の勝利によって甲斐、信濃を手に入れた家康は、旧武田家臣たちとの結びつきを強固なものにしようと考え、旧武田家重臣の娘を側室に迎えるべく、鳥居元忠に馬場信春の娘を探し出すよう命じます。しかし、捜索から帰ってきた元忠は、「見つかりませんでした」と報告。結局、家康は穴山信君(梅雪)の娘を側室に迎えるのですが、実は、元忠は馬場信春の娘を見つけ出しており、しかし、その娘に惚れ込んでしまった元忠は、家康に内緒で居城の谷村城に連れ帰り、側室に迎えていたという・・・。当然、隠し通せるはずもなくバレてしまうのですが、ドラマのとおり、家康は元忠を叱らなかったといいます。わたしが家康ならボコボコにしますけどねぇ。(笑)


 今回は於愛の方千代、そして、のちに小松姫として有名になる本多忠勝の娘・にスポットを当てた女性の物語でしたね。物語の箸休めといったところでしょうか。歩き巫女望月千代女=馬場信春の娘とした設定は秀逸でしたし、於愛の方の最期も良かったと思います。ただ、物語は第36話。最終回まであと12しかありません。次週は北条攻めのようですが、その後の江戸への国替え、豊臣政権、文禄・慶長の役、秀吉の死、石田三成との確執、そして関が原の戦い、征夷大将軍就任および江戸幕府開府、そして秀頼、淀殿との関係悪化からの大坂の陣。まだまだ盛りだくさんの歴史を描かないとなりません。どう考えても尺が足らない気がしています。まだ30話ぐらい残っているのであれば、今回のような箸休めの回があってもいいとは思いますが。大丈夫なのかなぁ。どこかが大幅に削られることになるのでしょうね。



ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
   ↓↓↓



更新を通知する


by sakanoueno-kumo | 2023-09-27 20:34 | どうする家康 | Trackback | Comments(0)

 

<< どうする家康 第37話「さらば... どうする家康 第35話「欲望の... >>