藤堂高虎が大改修した津城を歩く。 その2 <本丸>
「その1」のつづきです。
津城内堀外周をめぐったので、本稿では本丸内を歩きます。

写真は前稿の冒頭でも紹介した本丸北東の丑寅三重櫓。
藤堂高虎が築いた櫓とは似ても似つかない模擬復興櫓です。

その模擬櫓の南が、城跡公園内への出入口となっています。
かつてここには東鉄門がありました。

東鉄門枡形の説明板です。
読みづらいですが、大きな枡形門だったようです。

その横に案内看板があります。

古写真を拡大。
現在の模擬櫓がぜんぜん違うものであることがわかりますね。

枡形内から見た模擬櫓。

丑寅櫓の図面が書かれた説明板もありました。
これを見ても、今の模擬櫓がぜんぜん違うものであることがわかりますね。

本来の丑寅櫓台に登れるようです。

丑寅櫓台上に登ってきました。

丑寅櫓台出隅石垣。

恐る恐る身を乗り出して北側内堀沿いの多門櫓台石垣を見ます。
が、草ボーボーで石垣がよくわかりません。
これはちょっと酷いなぁ。

多門櫓台石垣上を西側に向かって歩きます。
ここを訪れたのは令和4年(2022年)7月2日。
ほとんど草むら状態ですね。

石垣が張り出していますが・・・。

ここは本丸北西の戍亥櫓台上です。

振り返って、戍亥櫓台から見た内堀と多門櫓台石垣。
やはり、草ボーボー。
ミュゼでムダ毛処理してほしいですね。

反対側(西側)の内堀。

その南側に目をやると、本丸と土橋で結ばれた西の丸が見えます。
西の丸の石垣が本丸より低いことがわかりますね。

戍亥櫓台上から南に向かって歩きます。

振り返って見た戍亥櫓台上。

石垣上ウォークはここで行き止まり。
ここに本丸と西の丸を結ぶ西鉄門がありました。


本丸内です。
現在は市民憩いの公園になっていますが、かつてはここに本丸御殿がありました。

藤堂高虎像がありますが、ひとまず後回しに。

高虎像の南、本丸南西に天守台石垣があります。
もっとも、織田信包の時代には五重天守があったといされますが、高虎の築いた津城には、天守はなかったようです。


草木が邪魔して天守台石垣がじっくり見づらいですね。

その天守台の横に、南側の埋門跡があります。
「その1」でも外から見ましたが、これは内側から見た埋門。
さて、本丸を見てまわりましたが、長くなっちゃったので、「その3」に続きます。
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by sakanoueno-kumo | 2023-10-26 00:09 | 三重の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)