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近江美濃境目で要塞化された寺・弥高寺 その2 <本堂跡~大門跡>

「その1」のつづきです。

弥高寺大門跡の南側には、大きな横堀が東西に構えられています。


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大門跡の土塁上から見下ろした横堀


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大門跡を降りてきました。

横堀ウォークしてみます。


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きれいな横堀。


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横堀を東に進んだところにある宝篋印塔五輪塔


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いつの時代のものかはわかりませんでしたが、いずれも不完全な組み合わせ

たぶん、かなり古いものだと思います。


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ここで、前稿でも載せた縄張り図をもう一度載せます。

引用・加筆:『近畿の城郭Ⅲ』

発行所:戎光祥出版


宝篋印塔は西側の端の方にありました。


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場所を移動して、南側の竪堀の下まで降りてきました。

深く長い竪堀


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そして、その西側にももう1条


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上から見た竪堀


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さらに、その西側にあるY字型竪堀

写真ではわかりづらいので、城友さんにYの形を体現していただきました。

って、ぜんぜんわからん!(笑)


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Yの竪堀を上から。


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再び切通参道を通って本堂跡に戻ります。

この頃になると雨が激しくなって、視界も狭くなってきました。


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本堂背後の北側にも遺構があります。

本堂跡背後の西側にある竪堀です。


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同じ竪堀を下から。


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縄張り図では、その竪堀を降りたところにブーメラン状堀切があるようなので見に来たのですが・・・写真では伝わらないですね。

たしかに、肉眼ではうっすら堀切跡が確認できました。


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北側最上段の曲輪にやってきました。


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山頂からの尾根を遮断する大堀切の高い土塁を背にする曲輪で、前面に帯曲輪が配置されています。


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その東側には、4条の畝状竪堀があります。

写真じゃ伝わりづらいですね。


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そして北側の高い土塁


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そして尾根を分断する北側の大堀切です。

堀切の大きさは、上端最大幅約20m、下端幅3m、深さ6m、長さ11あります。


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この本堂背後の遺構は、平安時代からある寺院跡ではなく、京極氏もしくは浅井氏が新たに設けた要塞化した遺構の可能性が高いようです。


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弥高寺の寺院自体は京極氏の退転後も存続していたようですが、浅井久政・長政父子の自刃によって浅井氏が滅ぶと、時を経ずして天正9年(1581年)に山麓に移転しました。


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最後に、西側の行者谷と呼ばれる場所にある石室

人がかがんでようやく入れる大きさで、中には役行者の陶製像が安置されているそうです。

1000年以上昔の古代からこの地に存在した弥高寺。

16世紀末にその役割を終えてから400年以上、すっとその姿をここに残していたんですね。




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by sakanoueno-kumo | 2024-01-21 09:33 | 滋賀の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)

 

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