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光る君へ 第10話「月夜の陰謀」 ~花山天皇の出家(寛和の変)~

久しぶりに大河ドラマのレビューです。

10話では花山天皇出家事件が描かれましたね。寛和2年(968年)623日の丑剋(午前1時から3時)花山天皇が秘かに清涼殿を出て、縫殿陣(朔平門)に用意してあった車に、藤原兼家の三男・藤原道兼と同乗し、東山の元慶寺に着くと、すぐさま出家入道させられました。これより先に、神璽宝剣は兼家次男の藤原道綱によって凝華舎に移され、東宮懐仁親王に献上されていました。兼家は内裏に参入して諸門を固め、譲国(東宮に皇位を譲ること)の儀を行いました。それは、譲位宣命の宣せられない、異例の「譲位」でした。


 光る君へ 第10話「月夜の陰謀」 ~花山天皇の出家(寛和の変)~_e0158128_20380276.jpg花山天皇が出家を決意した理由については、ドラマで描かれていたように、寵愛する妻・藤原忯子17歳の若さで懐妊中に死んでしまったことによるショックから・・・というのが、『栄花物語』『大鏡』の伝えるところで、一般には通説となっています。自身が出家することにより、忯子の罪を軽くするため・・・というのが、その動機だったと。忯子は死んだのに、罪ってどういうこと?・・・って疑問が生じるかと思いますが、忯子は天皇の子を身ごもったまま亡くなったので、天皇の子を殺した罪があるって解釈になるようですね。女癖が悪く奇行が多かったと言われる花山天皇ですが、忯子のことは、それほど心から慈しんでいたんでしょうね。


 光る君へ 第10話「月夜の陰謀」 ~花山天皇の出家(寛和の変)~_e0158128_18122740.jpg一方で、『大鏡』によると、この出家は藤原兼家が外孫の懐仁親王を即位させるために仕組んだ陰謀だったと伝えます。蔵人として花山天皇に仕えていた兼家の三男・道兼は、悲しみに暮れる天皇と一緒に自身も出家するとそそのかし、出家に導いた、と。道兼はひそかに天皇を内裏から連れ出しますが、天皇は「月が明るいので日を改めよう」と言って出発を躊躇いますが、そのとき都合よく雲が月を隠したため、天皇は「やはり今日出家する運命であった」と納得したといいます。ところが、内裏を出る前に、かつて妻からもらった手紙を持ってくるのを忘れたといって取りに帰ろうとしますが、出家の手筈を整えていた道兼は、嘘泣きをするなどして強引に天皇を連れ出したといいます。概ねドラマで描かれていたとおりですね。


 元慶寺へ着き、天皇が落飾したのを見届けた道兼は、父の兼家に事情を説明してくるという理由で寺を抜け出し、そのまま逃げてしまいます。ドラマでは、「私は、これにて失礼いたします。お側にお仕えできて、楽しゅうございました」といって立ち去りましたね。どちらにせよ、ここで初めて騙されたことに気づいた花山天皇は、愕然としたに違いありません。しかし、すべてはあとの祭り。内裏から行方不明になった天皇を捜し回った側近の藤原義懐藤原惟成は、元慶寺で剃髪した天皇と会い、そこで政治的な敗北を知り、共々に出家しました。この事件は「寛和の変」とも言われています。


 光る君へ 第10話「月夜の陰謀」 ~花山天皇の出家(寛和の変)~_e0158128_18160383.jpg『大鏡』には、陰陽師の安倍晴明の話も記されています。今回のドラマでも描かれていましたが、安倍晴明の屋敷の前を花山天皇の乗った牛車が通ったとき、晴明は天皇が退位なさるとの天変があったと言い、「式神一人、内裏へ参れ」とのお告げがあったとしています。晴明は超能力者という設定ですから、屋敷の前を通っただけでそれがわかったわけです。つまり、いち早く安倍晴明は花山天皇の退位を察知していた、と。今回のドラマでは、この逸話を逆手にとって、すべてのシナリオは晴明が描いて兼家にアドバイスしたという設定でしたね。これは面白い脚本でした。今回のドラマでの安倍晴明は超能力者というより、ダーティーな政治家という役どころ。今後の物語への関りが楽しみですね。


 ここに、7歳の一条天皇が誕生しました。この一条天皇が、紫式部藤原道長のその後に深く関わっていくことになります。



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by sakanoueno-kumo | 2024-03-11 18:17 | 光る君へ | Trackback | Comments(2)  

Commented by kumikokumyon at 2024-03-14 09:18
光る君へ ご覧になってると知って安心いたしました(笑)
私は結構毎週展開を楽しみに見ています。
柄本佑もやだなーって思っていたのがいまや素敵な公達に
見えてしまうという・・・・・大石静マジックでしょうか?

しかし違和感を覚える物がないことはないです。
下級貴族といえ、筵の上で姫様は寝るのでしょうか?
あんな現代風な言葉で話したでしょうか?
もう少し平安っぽくしゃべっても良いかなと。
まーあの頃の資料が無さ過ぎるのでこれもありかな?
Commented by sakanoueno-kumo at 2024-03-14 10:57
> kumikokumyonさん

わたしも毎週楽しみに観ています。
知識がないぶん、粗探しもできずに、純粋に楽しんでいます(笑)。
柄本佑は、デビューした頃は不気味な役が多かったですが、最近は二枚目役が多いですよね。
数年前の朝ドラ「朝がきた」で株を上げたように思います。

言葉遣いについては、仕方がないんじゃないでしょうか?
それを言えば、三谷作品なんて超現代チックな言葉遣いですからね。
われわれがその時代の言葉遣いだと思っているものも、所詮は昭和の時代に作られた時代劇言葉。
時代とともに分かりやすく変わっていくのは仕方がないかと。
寝床についてはわたしはよくわかりませんが、一応そのへんは時代考証の先生の指導のもとにやってるんじゃないでしょうかね。

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