古代城と中世城が混在する城山城。 その2 <石塁・門の築石>
「その1」のつづきです。
城山城跡の北側城域に入りました。


堀切と土塁と書かれた看板があります。

まあ、たしかに堀切っちゃあ堀切かな。
薄いけど。

土塁です。

誘導看板に「石塁3」とあります。
行ってみましょう。

土塁ウォーク。

石塁3です。

あー、石が散乱しちゃってますね。

かつてはここに石が積まれていたんでしょうね。

何となく、積み上げていた感はあります。
これは古代城の方の遺構でしょうね。

先へ進みます。

亀山山頂に着きました。

標高458mの亀山山頂ですが、ここが主郭というわけではなさそう。
でも、しっかり削平された曲輪であることは間違いありません。

ここで縄張り図を載せます。
縄張り図引用・加筆:『近畿の城郭Ⅴ』
発行所:戎光祥出版

亀山山頂は縄張り図のAの部分。
城山城はこの亀山Aを含む3つの峰を中心とした尾根と谷部を利用した城です。
縄張り図では、Ⅰ~Ⅴ区に区分されていますね。
それでいえば、ここはⅠ区になります。

ひとまず山頂にて昼食。

誘導看板には「門の築石」とあります。
行ってみましょう。

看板が見えました。

説明看板です。
この付近には古代山城の門の礎石が3基あるそうです。


まずはひとつ目。
凹字状の石材ですね。
説明看板によると、これは唐居敷と呼ばれる構造のものだそうで、外側に約60cm角の掘立て柱が設置され、その内側に約30cm角の柱が礎石の上に据えられて扉が取りつけられていたそうです。
扉は、各礎石が持つ段差によって外側に開かないように工夫されており、内開きだったことがわかるそうです。
古代人、賢い!

ふたつ目。
これも凹字状の石材ですね。

そして、これが3つ目かな?

亀山山頂に戻って、南に進みます。

少し南下すると、石塁2・堀切(城内最大)と書かれた誘導表示が。
行ってみましょう。

Ⅱ区西側にやってきました。

石塁2です。

おーーーーーーっ!

スゴイ!

これは古代山城の石塁だそうです。
約40mにわたって築かれています。

古代山城の遺構がこうして複数確認されていますが、記紀等の資料には登場しない、いわゆる「神籠石系山城」です。
中世山城として史料に確認できるのは、観応の擾乱後、播磨国守護となった赤松則祐が、南朝方となった山陰の山名時氏と対峙するようになってからです。
正平8年/文和2年(1353年)、赤松則祐は南朝への備えとして城山城を築城しました。

見事な石塁ですね。

その西側には堀切も。

さて、石塁2を堪能したところで、「その3」につづきます。
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by sakanoueno-kumo | 2024-03-20 20:24 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)