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古代城と中世城が混在する城山城。 その3 <主郭・井戸跡・石塁>

「その2」のつづきです。

石塁のあった城山城Ⅱ区からさらに南下します。


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説明看板が現れました。

現在地と書かれているところがこの場所です。

広い削平地になっていますね。


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ここは30m四方の方形の平坦地で、城内では最も広い場所です。

ここに説明看板が設置されているところを見ると、ここが城山城の中心的曲輪、いわゆる主郭にあたるのでしょうか?


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正平8/文和2年(1353年)に赤松則祐が築城したと伝わる中世山城の城山城ですが、史料によると、城内には寺院境内が併存しでいたようです。

南北朝時代を通じ、城山城は寺と居館がセットになった赤松氏の重要拠点だったようです。


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主郭にあたるこの曲輪の西側には、井戸と書かれた標柱があります。


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そして石囲いの水たまりが。

これは園池跡と思われます。

「東寺文書」という史料には、城山城に「城山本堂」があったと記されており、ここがその場所だったのかもしれません。


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巨石が放置されていますが、どう見ても自然石の状態ではなさそうですね。

四角く加工されています。


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そこからさらに南側には、「石塁1と書かれた標柱と、散乱した石材があります。


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たしかに積んでいますね。

「その2」で見た立派な「石塁2」よりは小さいですが、これも古代山城の遺構のようです。


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主郭をあとにして南下すると、「礎石建物址」と書かれた誘導看板が。


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礎石建物址です。


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その説明板。

どうやら史料に見る堂跡の遺構がこれのようですね。


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南側の展望台のような場所にやってきました。


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東側から南側にかけての眺望です。


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嘉吉元年(1441年)624日、赤松満祐が六代将軍・足利義教を謀殺するという大事件が勃発。

世にいう嘉吉の乱ですね。

その後、追い詰められた満祐が最後に籠ったのが、ここ城山城でした。

しかし、幕府軍に攻められ、910日に一族69とともにこの城で自刃します。

その後、満祐の首は義教の遺児に見せられたのち、921日に四条河原で晒されました。


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その後、山名宗全の統治を経て、再び赤松氏の城となりましたが、天文年間に尼子晴久に攻め込まれて陥落し、一時は尼子氏の播磨攻略の拠点とされますが、その後の記録は残っていません。


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古代山城と中世山城の遺構が混在している城ということもあって、縄張りを理解するのは難しい城でした。


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by sakanoueno-kumo | 2024-03-22 14:55 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)

 

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