播磨小谷城攻城記 その2<主郭~第4郭>
「その1」のつづきです。
標高は218mの小谷城城域に入りました。

麓から見えた看板。
第3郭の南側に設置されています。

その看板の南側は、帯郭が東西に伸びています。

ここで、山頂にあった縄張り図を載せます。

第2郭に登ってきました。
向こうに見えるあずまやのところが第1郭(主郭)です。
まずは主郭に向かいます。

主郭です。
あずまやは休憩用ですね。


主郭には、看板や石碑が設置されています。

「わらべやくし」と書かれたお地蔵さんと、その横には五輪塔の上の部分だけがあります。
これはなんの五輪塔なんだろう。

小谷城主郭からの南側眺望。

同じ赤松氏の城、善防山城と中道子城が見えます。

善防山城にズーム。
赤松則村(円心)の曾孫で、あの嘉吉の乱を起こした赤松満祐の弟にあたる赤松則繁によって築かれたとされています。

中道子城にズーム。
南北朝時代に赤松則村(円心)の四男、赤松氏範が築城したと伝わっていますが、定かではありません。
天正年間には考橋氏が城主を務め、羽柴秀吉の播磨攻めの際に落城しました。

主郭の東側を見下すと、小さい曲輪があります。

さらにその下を見下すと、堀切が。
ここで東の端の守りを固めていたようです。

堀底に降りてきました。
今は長年の堆積物で浅くなっていますが、往時はもっと深かったのでしょうね。

主郭に戻って、今度は西側を攻めます。

第2郭です。
立て札には「二の丸跡」と書かれています。
本丸、二ノ丸、三ノ丸という用語は豊臣時代以降にできた言葉なので、本来、中世の山城には適していない言葉なんですけどね。
縄張り図には「第〇郭」とありますので、それに従います。

第2郭から東を見下すと、第3郭、第4郭が見渡せます。

第3郭。

第4郭まで降りて東を振り返ると、第3郭、第2郭と段曲輪になっていることがわかりますね。

そこから南側を見下すと、帯曲輪が東西に伸びています。

続いて第5郭ですが、長くなっちゃったので、つづきは「その3」にて。
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by sakanoueno-kumo | 2024-03-31 18:02 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)