龍野古城(鶏籠山城)攻城記 その1 <登山口~Ⅱ郭>
今回は姫路の西に位置する兵庫県たつの市にある龍野城です。
龍野城には、鶏籠山山頂の山城と山麓の平山城の時代があり、山城は鶏籠山城、朝霧城、麓の城は霞城と呼ばれました。
山城の龍野古城は、明応8年(1499年)に赤松村秀によって築かれたとされています。

現在のたつの市は、以前は龍野市でしたが、小泉政権時代の市町村合併の際に、龍野市、新宮町、揖保川町、御津町が合併してできた市で、吸収合併のような印象を拭うため、ひらがなに改名したとか。
同じような理由でひらがなの自治体名にした例は、全国にもたくさんあるそうですが、なんとも残念な話ですよね。
いうまでもなく、地名の由来には歴史と風土が刻まれているわけで、ここ龍野に至っては、約1300年前の8世紀はじめに編まれたといわれる『播磨国風土記』にも確認される地名だそうで(同史料の中では「立野」)、そんな、いにしえより続いてきた名称を、それぞれの自治体の譲れない理由があったにせよ、軽々しく変えてしまっていいものだろうか・・・と思いますよね。
まあ、おそらくそんな議論は山ほどし尽くされて、それでもそこしか着地点がなかったんでしょうけどね。

まずは麓の龍野城をスルーして、山頂の龍野古城へ。
登山口は龍野城の裏手にあります。

登山口を入ってすぐの場所に設置されていた説明板。

木内内則氏が描いた想像復原図があります。

古城大手道と書かれた立て札が。

少し登ると、石積みの跡がありました。
これは城跡のものだろうか?

ここで縄張り図を載せます。
縄張り図引用・加筆:『近畿の城郭Ⅲ』
発行所:戎光祥出版

土塁跡という看板が現れました。

たしかに立派な土塁です。
縄張り図でいうFの部分ですね。

土塁の内側は帯曲輪なのか、でも見た感じ横堀のようにも見えます。

横堀の上の削平地にきました。

縄張り図にEの窪みがある曲輪です。
便宜上、ここをⅡ-8郭とします。

Ⅱ-8郭からさっき土塁囲みの横堀を見下します。

Ⅱ-8郭から見た次の曲輪の切岸。

その上のⅡ-7郭に登ってきました。
ここは縄張り図で見てもわかるように、狭い帯曲輪です。

Ⅱ-7郭から見たⅡ-6郭切岸。

Ⅱ-6郭です。

Ⅱ-5郭の切岸には、石積みの痕跡が。

Ⅱ-5郭に上がってきて、下を見下します。
段曲輪がよくわかりますね。

Ⅱ-4郭。

Ⅱ-3郭

そしてⅡ-1郭の切岸にも、石積み跡があります。

そしてⅡ-1郭上に登ってきました。
看板には「二の丸跡」と書かれています。

縄張り図で見てもわかるように、山上にはふたつのピークがあり、その南の頂がⅡ郭となっています。
現在の遺構からは明確な虎口がわかりませんが、周囲に小ぶりの石が散在しており、石積みで囲われた曲輪だったようです。
周囲に土塁のような防御は確認できません。

Ⅱ-1郭から北側に降ります。

虎口っぽくも見えますが、どうだろう?

Ⅰ郭とⅡ郭の間を結ぶ尾根上の鞍部です。
ここも曲輪だったのでしょうね。

ここからⅠ郭エリアに入ります。
なんとなく虎口跡にも見えます。

おっ、上に石積みが・・・と、ここで長くなっちゃったので、「その2」につづきます。
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by sakanoueno-kumo | 2024-04-15 16:55 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)