諏訪湖に浮かぶ高島城。 その2 <本丸内櫓跡・門跡>
「その1」のつづきです。
諏訪高島城本丸外周を一周したので、次回は本丸の中に入ります。

冠木橋と冠木門。
どちらも現在の復興天守と共に昭和45年(1970年)に築かれたものです。

橋を渡って、冠木門の前に来ました。
冠木門っていうと、普通は左右の柱と上部に一本の貫を通しただけの簡単な門のことですが、ここの門はどう見ても櫓門ですよね。
文政年間(1818~30年)の絵図には屋根付きの門が描かれており、「冠御門」と記されています。
おそらく、元は冠木門だったのが、のちに高麗門か楼門など屋根付きも門に建て替えられ、名称のみが残されたのではないかと思われます。

その説明板。

石垣と堀の説明板もありました。

本丸内に入って内側から見た冠木門。

門の横には説明板や図面が立ちならんでいました。

土塁の上に復興された塀。
かつてはここに塀ではなく多門櫓があったようです。



狭間。

北東の隅櫓です。

看板には「角櫓跡」と書かれています。
文政年間(1818~30年)の絵図には「角御櫓」と書かれています。

北東の隅櫓から「多門跡」と書かれた看板のある土塁上を南下します。


東側の堀に張り出した部分に、「持方月櫓跡」と書かれた看板が設置されていました。
「その1」では堀の外からここを見ましたが。
ここに、二重の櫓があったようです。

持方月櫓跡から水堀を見下します。
これだけ睨みを効かされていたら、水堀を渡るのは難しいでしょうね。

そこからさらに南下して南東隅にやってきました。

看板に「富士見櫓跡」とあります。
その名のとおり、ここから富士山が見えていたのでしょうね。

そこから北側の持方月櫓跡の方を見ます。
看板には「多門跡」とありますね。
「その1」でも述べたとおり、かつて本丸の東側には二重の櫓が3基(隅櫓、持方月櫓、富士見櫓)あり、3基は多門で接続されていました。

富士見櫓跡には、松尾芭蕉の歌碑がありました。
「花に遊ぶ虻那くらひそ友雀 芭蕉」

富士見櫓跡の横には、本丸南側の出入口があります。
ここを出ると、「その1」で見た三之丸温泉のところに出ます。

外から見た南門。

説明板には、「土戸門」とあります。
北側が正門、ここは裏門だったようですね。

土戸門から本丸内を見ます。
今は公園になっていますが、かつてはここに御殿があったのでしょうね。

本丸西側にも門があります。

説明板には、三之丸御殿裏門(御川渡門跡)とあります。

外側から見た三之丸御殿裏門。

門の横には、「西多門跡」と書かれた看板があります。
ここも多門櫓があったようです。

さて、櫓跡と門跡だけで長くなっちゃいました。
つづきは「その3」にて。
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by sakanoueno-kumo | 2024-07-16 16:42 | 長野の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)
















