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信濃高遠城を歩く。 その1 <三ノ丸・二ノ丸・本丸>

松本城、諏訪高島城をめぐった帰路、高遠城に立ち寄りました。

高遠城は三峰川と藤沢川が合流する河岸段丘の突端に築かれた平山城

北・南・西の三方を河川に囲まれる天然の要害でした。

『信長公記』にも「高遠の城は三方さがしき山城にて、うしろは尾続きあり。城の麓、西より北へ富士川たぎつて流れ、城の拵殊に丈夫なり」と、その堅牢さが記されています。

現在の残る城跡は、明治維新まで存在した近世高遠城の姿で、『信長公記』に見る武田時代の姿ははっきりしません。


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三ノ丸西側の殿坂口にあった看板。

「天下一の桜 高遠城」とありますね。

春には城跡を埋め尽くすコヒガンザクラなどで有名だそうですが、ここを訪れたのは真冬の121日。

桜は当然ありません。


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三ノ丸です。


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三ノ丸に、かつての大手門が移築されています。


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明治維新後、城の建物類は民間に払い下げられましたが、この大手門は、この地にあった高遠高校の正門として昭和59年(1984年)まで使われていたそうです。


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三の丸の南西にある勘助曲輪です。

勘助とは、武田信玄の軍師と伝わる山本勘助のこと。

大河ドラマ『風林火山』の主人公として描かれましたね。

武田時代の高遠城は、信玄の命を受けて勘助が縄張りを担当したと伝えられています。


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その説明板。

現在は城跡公園として使われているため広い平地ですが、かつてはその中央に堀があり、南側が勘助曲輪、北側が武家屋敷となっていたそうです。

近代になって埋め立てられて高遠高校のグランドとして使われたのち、今は城跡公園の駐車場となっています。


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三ノ丸を西から東へ歩き、城跡公園北ゲートにやってきました。

ここから二ノ丸へ入ります。


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三ノ丸と二ノ丸には、深い空堀があります。


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土橋を渡って二ノ丸に入るとすぐに、赤い屋根の洋館があります。

これは高遠閣という昭和初期の建物で、国の登録有形文化財に指定されているそうです。


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その説明板。


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二ノ丸と本丸を結ぶ桜雲橋問屋門です。

橋が架かっているということは、堀があるのですが、動画だけ撮って写真撮ってなかった(泣)。

痛恨です。

ブログも動画のっけれたらなぁ。


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問屋門です。


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その説明板。

この門は元々は城にあった門ではなく、高遠城下の本町の問屋役所にあった門だそうで、昭和20年代にここに移築されたそうです。


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内側から見た問屋門

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本丸です。



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高遠城の築城時期は定かではありませんが、諏訪氏の一族・諏訪頼継が嫡男の信員を高遠に住まわせたのが始まりだと言われています。

信員は高遠姓を名乗り、高遠氏は高遠城の城主として、高遠頼継の時代まで200にわたって城主を務めました。

(ややこしいですが、諏訪頼継と高遠頼継は、同じ頼継ですが別人です)


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高遠頼継は諏訪惣領家の諏訪頼重と反目していたため、天文10年(1541年)に武田信玄が諏訪攻略を行った際には、信玄に与し、諏訪惣領家の滅亡に手を貸しています。

しかし、頼継は諏訪の領有をめぐって信玄と対立し、天文14年(1545年)には信玄の手によって高遠城が落城する憂き目に遭いました。

頼継は信玄に降伏し、一時は配下となったものの信用を得られず、甲斐へと送還され自害に追い込まれ、高遠宗家は滅亡しました。


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高遠城を手にした信玄は、この城を伊那および木曽地方攻略の拠点と決め、山本勘助秋山信友に命じて城の拡張改築を行います。

大規模ではないものの、進歩した築城技術と武田流兵法を駆使しての改修だったとされ、堅城として生まれ変わったと伝わります。

弘治2年(1556年)には秋山信友に城主を命じました。


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本丸からの眺望。

さて、本丸まで来ましたが、つづきは「その2」にて。




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by sakanoueno-kumo | 2024-07-23 20:45 | 長野の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)

 

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