加賀百万石の金沢城を歩く。 その3 <二ノ丸・五十間長屋内部・極楽橋>
「その2」のつづきです。
金沢城二ノ丸にやってきました。
向こうに見えるのは、二ノ丸側から見た五十間長屋です。
ここを訪れたこの日は令和5年(2023年)4月22日。
二ノ丸御殿の遺構発掘調査中でした。
五十間長屋です。
中を見学できます。
五十間長屋の中です。
平成13年(2001年)の再建ですが、史料に忠実な木造復元なので、見学の価値ありです。
発掘調査時の記録がパネル展示されています。
出土物も。
外観でも見たように、五十間長屋は二重多門櫓となっています。
二階に上がります。
二階に上がってきました。
橋爪門続櫓の内部です。
三階部分は立入禁止でした。
五十間長屋内部。
その名の通り、その名の通り50間(約98m)の長さがあります。
復元階段。
菱櫓と五十間長屋の軸組模型。
窓から三ノ丸が見えます。
出窓の石落とし。
そして北側の菱櫓。
ここも残念ながら階段の上には上れませんでした。
外に出てきました。
二ノ丸内に「金沢御堂」と書かれた説明板がありました。
金沢城の前身は、金沢御堂または尾山御坊と呼ばれる浄土真宗の寺院でした。
天文15年(1546年)に創建された金沢御堂は、寺院とはいっても石垣や堀をめぐらした堅牢な要塞といった趣だったようです。
この寺を仕切っていたのは、地元の大坊主衆や本願寺から派遣された坊官らであり、加賀一向一揆の拠点ともなっていました。
二ノ丸から本丸へ渡る極楽橋です。
その名の由来は、昔この地にあった金沢御堂に参詣する人たちが、朝は念仏を唱えながら橋を渡り、帰りは夕日を拝んで極楽往生を願ったことによるそうです。
橋から見下ろすと空堀が。
降りてみましょう。
空堀の堀底に降りてきました。
西側から見た堀底です。
さすが二ノ丸と本丸を分断する堀だけに、深い。
堀の石垣には、刻印がたくさんあります。
歩いてみましょう。
刻印には詳しくないので、何を意味する刻印なのかはよくわかりません。
金沢城は天下普請ではないので、大名の家紋の刻印というわけでなさそうです。
ただ、前田家が天下普請で大坂城などの石垣を担当したことは良く知られていることで、その後に作られた金沢城の石垣に、大坂城などの刻印と同じものがあるかもしれませんね。
刻印の説明看板がありました。
ただ、刻印の意味までは書かれていません。
さて、堀底ウオークをしたところで、本丸に向かいましょう。
「その4」に続きます。
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by sakanoueno-kumo | 2024-08-14 11:30 | 石川の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)