丹後国・二箇城。
五箇城を下山した時点で17時。
この日は他にも3城ほど縄張り図を持ってきていたのですが、五箇城が思いのほか時間がかかってしまい想定を大幅に推してしまいました。
普通ならここで打ち止めの時間ですが、予備で持ってきていた二箇城がすぐ近くにあり、しかも、ほとんど登らないし単郭でサクッと見れそう・・・ということで、夜襲することに。

小さな神社の鳥居をくぐって石段を登ると、その神社の裏がすぐに城域になっています。
鳥居に扁額がなかったので、神社名がわかりません。
地図にも載ってなかったし。

縄張り図
引用・加筆:『京都府中世城館跡調査報告書』
発行所:京都府教育委員会

城域に入っていきなり現れた大堀切。
そのまま南側に竪堀となって落ちています。

堀切は二重になっていて、東側にもう一条あります。

二重堀切東側の高~い土塁から郭に降りてⅠ郭から土塁を見上げます。
高い!
暗い!!!
縄張り図ではⅠ郭となっていますが、単郭なのでⅠ郭しかありません。

竪堀を降りて帰ります。

振り返るとこんな感じ。
下山したのは17時半。
秋分の日から半月後とはいえ、さすがに暗かった。

おまけ。
二箇城のあった苗代という村は、稲作発祥の地という伝承があるそうです。
食物の神である豊受大神は、天照大神のために稲作を試みたとされています。
そのとき初めて籾種を水に浸したのが苗代の「清水戸」だったそうで、その籾種を蒔いたところが「月の輪田」といわれているそうです。

また、古歌に「いざなぎや 種をひたする清水戸 五穀始まるこれぞ苗代」ともあります。
月の輪田は、稲作発祥神話に由来する御田であり、代々の領主は除地としてこれを保護し、毎年身を清めて稲を作り、白米一斗三升を初穂として伊勢神宮に奉納していたそうです。

二箇城は五箇城の支城とも出城ともいわれているようですが、詳細はわかっていません。
五箇城はここから南に1.5kmほどの場所ですから、何らかの関連はあったのでしょうね。
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by sakanoueno-kumo | 2025-02-13 16:37 | 京都の史跡・観光 | Trackback | Comments(2)
日本の稲作発祥は福岡市の板付遺跡だと言われているのですが。
丹後の国って雪降りますよね?
寒い所なのでは?
稲は元々、南方の植物ですから、なかなかそういう地方で他に先駆けて・・・とは考えにくいような気がするのですが。
サツマイモでも江戸時代、群馬県か何かで、寒さ対策でえらく苦労してたような。
ひさしぶり過ぎてコメント返しのやりかたを忘れていて戸惑いました(苦笑)。
まあ、あくまで伝承レベルでしょうけどね。
たぶん、日本各地に発祥の地がありそうな気がしますね。
当時はネットワークもなかった時代。
言うたもん勝ちでしたでしょうし(笑)。