但馬国・楽々前城攻城記。 その1 <北城>
今回は但馬国、楽々前城です。
難読で有名な城ですが、「ささのくまじょう」と読みます。
「らくらくまえじょう」ではありません。
兵庫県北部を北流して日本海に注ぐ円山川の支流・稲葉(いなんば)川の右岸にある標高307mの山上に位置し、城主は、但馬国守護職の山名氏の重臣で、「山名四天王」の一角として守護代も務めた垣屋氏と伝わります。
楽々前城は北城エリアと南城エリアに分かれます。
まずか北城から。

北側の道場淵から。
右側の山の尾根上に城跡があります。

北側に流れる稲葉川。
登山口も登山道もなく、この川を渡ってすぐの墓地のあたりから直登して尾根に取り付きます。
この北側の山裾を流れる稲葉川が天然の堀の役割を果たしているようにも思えます。

ここで縄張り図を載せます。
引用・加筆:『近畿の城郭Ⅴ』
発行所:戎光祥出版

北城だけ拡大した縄張り図。

直登10分ほどで城域に到着します。
北城の北側は数段の小さな段郭が配置されています。
まずはその北の端から。

段郭3段目。
ここまで土塁などの防御はありませんね。

段郭6段目から南側堀切。
ここで初めて土塁があります。

堀切と土橋。

ちょっと太めの土橋です。

堀切を下から。

堀切から北西を見下ろすと、小さな帯郭があります。

堀切を越えて段郭7段目を過ぎると、大きな岩がむき出しになった急斜面を登ります。
これは切岸ではなく、自然地形なんでしょうね。

北城の主要部分に登ってきました。
主要部分は最上段のⅪ郭を中心に南北に4段の段郭で形成されています。
その一番北側の段は、ご覧のとおり激藪でした。
インスタで予習してきた限りでは、こんなに藪ってなかったんですけどね。

藪を抜けた先の竪堀。

Ⅺ郭の低い切岸。

そして、Ⅺ郭に上がります。
縄張り図ではⅪ郭とありますが、ここが実質北城の主郭ですね。


見上げると、こんな紅葉。

主郭のⅪ郭から南の一段下へ。
西側にスロープ土橋があります。

北城最南端の郭からの北東眺望。
江原方面、その向こうには豊岡市街地が見えます。
ここは北東の豊岡盆地から西側の神鍋方面、美方盆地が一望でき、八鹿、村岡、竹野、豊岡からの街道が交錯する交通の要衝でもあります。

北城最南端の土塁。

土塁上から南側を見下します。

北城最南端の郭から西側に降りて、縄張り図にある竪堀を見にきましたが、よくわかりませんね。

さて、北城を攻略したところで、「その2」につづきます。
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by sakanoueno-kumo | 2025-03-18 19:32 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(4)
わたしも、大河ドラマのレビューをやってたときは、毎週使命感のようなものに縛られて続けていたんですが、昨年の紫式部からそれやめちゃって、そしたら緊張の糸が切れたように、ブログに向き合う時間が減ってしまいました。
ただ、貴兄は20年、わたしもかれこれ17年続けてきたんで、時代遅れとは感じつつも、やめる勇気もない感じですね(汗)。