但馬国・楽々前城攻城記。 その2 <南城の北側段郭~Ⅹ郭>
「その1」のつづきです。
北城エリアを制覇したので、南城に向かいます。

南城の北側も、北城と同じような段郭が数段つづきます。

楽々前城の城主・垣屋氏は但馬国守護職の山名氏の重臣で、「山名四天王」の一角として守護代も務めますが、史料に確認できる垣屋氏の所見は、明徳2年(1392年)の明徳の乱のとき、京都二条大宮の合戦で山名時煕を救出して討死した垣屋弾正忠頼忠です(明徳記)。
それ以前の『吾妻鏡』や『太平記』の時代には垣屋氏という武士の存在は確認できないようです。

明徳の乱以来着々と力を蓄えていた垣屋氏は、15世紀半ば以降、守護代家としての地歩を固め、筆頭家老として山名氏を支えることになります。
垣屋弾正忠頼忠の孫に代の三兄弟の長男・垣屋熙続は越前守、次男の垣屋熙知は越中守、三男の垣屋豊茂は駿河守となり、それぞれ越前守家は楽々前城、越中守家は宵田城、駿河守家は轟城を受け持ちました。
以後、ここ楽々前城は代々越前守家(長男家)の城として引き継がれていきます。

ここで縄張り図を載せます。
引用・加筆:『近畿の城郭Ⅴ』
発行所:戎光祥出版

南城だけ拡大した縄張り図。

北側の段郭を数段登ると、小さな堀切と土橋が現れます。
縄張り図では堀切Fとあります。

土橋から見下ろした堀切F。

堀切Fの南側には、南北に掘られた塹壕があります。
これはどういう意図のものでしょう?

そしてその南側にある堀切E。
深い!
向こうに見える見事な切岸はⅩ郭の切岸。
高い!

上から見下ろした堀切Eから落ちる竪堀。

下から見上げた竪堀E。

竪堀を登って堀切E。

しつこく堀切Eを斜め角度から。

堀切の東側にはスロープ状に湾曲した土橋があります。

土橋を渡ります。

Ⅹ郭に上がってきました。

Ⅹ郭はそれほど広い曲輪ではありませんが、周囲を土塁で囲っています。
この北側が高い切岸と深い堀切Eで守られていることを考えると、ここが北側から攻めてくる敵を防御する最初の砦だったのでしょうね。

Ⅹ郭から見下ろした北側の堀切E。

そしてⅩ郭から南へ進むと、またまた堀切と高い切岸が見えてきます。
なんか魅力的な遺構の予感がしますが、お楽しみは「その3」にて。
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by sakanoueno-kumo | 2025-03-21 19:06 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)
















