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震災から14年。そして私の誕生日。今、思うこと。

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今日で阪神・淡路大震災から14年の年月が流れた。
そして今日1月17日は、私の誕生日でもある。
6,000人以上もの命日と同じ日。
当時28歳の誕生日だった私も、今日で42歳になった。

我が家は幸いにして家族皆無事だったが、私たち神戸市民にとって、今日は忘れられない日。
当時私は神戸市内のマンションの10階に住んでいて、あの地震を経験した。
本棚が倒れてきて目が覚め、揺れているあいだ何が起こっているのかまったく把握できなかった。
本棚の下敷きになりただ叫んでいた。
40秒余りだったらしいが、体感としては2~3分あったように思われた。
揺れがおさまり我にかえって、家内と息子(当時生後4か月)の安否が心配になり、二人の寝室に向かおうとする途中、揺れ戻しの余震。
今度は冷蔵庫の下敷きになった。
そのとき初めて「地震」ということを認識した。
赤ん坊を抱き抱え家内と家から脱出。
停電でエレベーターは止まっているので、10階から階段で避難。
階段は着のみ着のままのマンション住民でごった返した。
1月17日の午前6時前はまだ暗く、陽が昇るまで駐車場の車の中で待機。
明るくなってきて次第に見えてくる街の様相に愕然とした。

それから数日は実家に避難。
といっても同じ神戸市内。
電気、ガス、水道、全てがない日々は困難を極めた。
ありがたかったのは救援物資で赤ん坊の粉ミルクだけは困らなかったこと。
1日数十回ある余震におびえながら、家族でかたまって寝ていたのを今でも思い出す。

地震から3日たった1月20日、初めて会社に行った。
私の会社は神戸市灘区の阪神電鉄添いにある。
神戸市で最も倒壊率が高かった地域だ。
テレビなどは当然映らないため、究極の被災地を初めて見たこの日、足の震えがおさまらなかった。
私の会社の建物が無事だったのが不思議なくらいの光景だった。
我が社にも、家を失ったもの、家族を亡くしたものなどがおり全員参加ではなかったが、この日からしばらく会社での寝泊まりが続いた。(交通機関がストップしているため)
市内の得意先などはすべて機能しておらず、市街に出るのも難しく、仕事があるわけでもなかったのだが、被災地のど真ん中にいると、我が家に帰るのが地域の人に対して後ろめたい思いもあったからだ。
会社では電気や水道は半月以上復旧されなかった。
思いだされるのは、会社近くの避難所になっている小学校のトイレ。
汚物が散乱して使用できる便器などない。
今思い出しても気分が悪くなる。
そんな生活が、被災地では数週間続いた。

今、振り返ると、あの1年間は貴重な経験だった。
家族や家を失った人はもちろん、そうでない人も神戸市民(近隣市も含む)はあの日以来、多少なりとも生活がかわったはずだ。
私自身、あの地震がなければ全く違った人生を歩んでいたかもしれない一人である。
神戸市民は、平成7年を震災元年と位置づけ、何かにつけ「震災から何年」と語ることが多い。
それほど今日、1月17日は特別な日である。

冒頭でも書いたが、今日は私の誕生日でもある。
誕生日を迎えるたびに、あの日のことを思い出し、感傷に浸っている。

by sakanoueno-kumo | 2009-01-17 14:02 | 日常 | Trackback | Comments(0)  

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