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2010年 04月 14日 ( 1 )

 

龍馬伝 第15話「ふたりの京」

 「人斬り以蔵」として後世に名高い、土佐藩郷士・岡田以蔵。そして、その人斬り以蔵を影で操っていたとされるのが、土佐勤王党首魁・武市半平太。 坂本龍馬を主役とする物語の多くにおいて、この二人の存在は欠かせない。幕末の一時期、京の町を震撼させたテロリストの以蔵だが、物語の中に見られる彼の姿は、いつもどこか切ない。人を殺して殺して殺しまくった狂気の男のはずなのだが、後世の私たちが受ける彼の印象はなぜか同情的で、彼の墓前には今もたくさんの献花が絶えないという。

 以蔵の最初の暗殺は、前話にあった土佐藩下目付けの井上佐一郎。このときは人斬りではなく、ドラマのとおり絞殺だった。もっともこれは単独犯ではなく、以蔵を含め4人で犯行に及んでいたようだ。この暗殺事件には思想的な動機はなく、吉田東洋暗殺を捜査していた井上に対して危険を感じたというのが理由だろう。この後、「天誅」という名のもとに暗殺が繰り返されるのは、同じ時期に「人斬り」として恐れられていた薩摩藩士・田中新兵衛の犯行で、「安政の大獄」時に攘夷志士の摘発に励んだ九条関白の家臣・島田左近の暗殺が始まりといわれている。今話で以蔵が殺した目明しの文吉は、その島田左近の手下の岡っ引。井上佐一郎を殺害したのが文久2年8月2日。以後、同月20日に本間精一郎、2日後の22日に宇郷玄蕃頭を、その8日後の30日に上記の文吉を、その後も9月、10月、11月と、短期間で立て続けに暗殺を繰り返している。「暗殺とは癖になるような気がする。」と、第13話「さらば土佐よ」の稿でも述べたが、そのとおり、この時期の土佐勤王党は暗殺が癖になっていた。

 岡田以蔵と武市半平太の関係は、まさに光と影。この時期、事実上土佐藩を動かしていた半平太の影の部分を以蔵は支えていた。その支えを半平太が要求していたのか、それとも以蔵が自主的にしていたことなのかはわからない。後世の私たちに半平太がダーティーな人物としてイメージされるのは、この以蔵との関係によるものが大きいだろう。現代で言えば、大物政治家とその身代わりになって逮捕される秘書官といったところだろうか。似たような関係を例にあげれば、薩摩藩士・西郷隆盛などにも、上記田中新兵衛や中村半次郎(桐野利秋)といった影の部分の担い手がいたのだが、こちらはあまりダークサイドなイメージには描かれない。半平太と以蔵の関係がダーティーに感じられるのは、半平太の急激な出世と以蔵の短期間のテロ実行が、あまりにもラップしすぎることと、後に二人が人生の最期を迎えたときの、以蔵に対する半平太の態度によるものだろう。「邪魔者は抹殺する。」といった方法で暗殺を繰り返した以蔵だったが、やがて自分が邪魔者となってしまうことになるのだが、それは物語の今後に譲ることにしたい。

 浅学だったとされる以蔵だが、それだけに純粋さを感じてしまう。
 「人の道に外れたことをしてはいかんぜよ。」
 以蔵が人斬りになっていることを悟った龍馬が以蔵に向けて言った言葉だが、自分の行動が「人の道に外れたこと」だとは思ってもいなかっただろう。学のない自分にとって、己を生かせるのは剣の道だけであり、その剣を使って自身の師である半平太の力になる。間違っているわけがない・・・と思っていたに違いない。
 「人にはそれぞれの道があるきにのぉ、みんなぁが同じ道は歩いていけんがじゃ。」
 「世の中にはいろんな人がおるがじゃ。意見が違うてあたりまえちゃ。」

 龍馬の言うとおりだが、しかし、自分の意見を持たない・・・持てない人もいる。そういう人は、誰かの意見を信じて自分の進むべき道を決めるしかない。龍馬や半平太のように、自分の進むべき道を自分で決められる者ばかりではないのだ。

 以蔵は信じるべき人物を間違えた。信じる人を見定めたのが自分自身だとすれば、それも自分の意見だと言えるかもしれない。そこに岡田以蔵という男の切なさがある。


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by sakanoueno-kumo | 2010-04-14 00:11 | 龍馬伝 | Comments(4)