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2010年 04月 19日 ( 2 )

 

金本知憲選手の決断。

 阪神タイガース・金本知憲選手が更新していた連続試合フルイニング出場の世界記録が、昨日18日、1492試合で止まった。1500試合が目前だっただけに、記録ストップを惜しむ声が後を絶たないが、予てから「記録のためには出ない。」と語っていた金本選手としては、逆に今の状態であと8試合出場することが耐えられなかったのだろう。賢明な決断だ。

 今回のスタメン落ちは自らの申告だったらしい。正直言って、それが一番良い着地点だっただろうと私も思う。少しでも野球がわかっている人なら、金本選手の守備の衰えはもうずいぶん前からわかっていたこと。スタメン4番はともかく、試合後半の守備交代はハッキリ言って何年も前から必要だった。2度の阪神リーグ優勝の功労者であり、球界最高年棒の大選手であり、世界記録更新中の彼に、誰がその引導を渡すのか・・・というのは、阪神ファンなら誰もが注目していたところ。監督といえども苦渋の決断を強いられたであろうこの問題は、金本選手自身が身を引くというのが最も望ましいかたちだった。スタメンを外れる決意を示した金本選手に、真弓監督は最後まで考え直すよう説得したそうだが、それは武士の情けで、実はその言葉を待っていたのではないだろうか。

 このように言うと、まるで金本選手の記録更新がチームのマイナスになっていたように聞こえるが、決してそうではなく、チーム内で金本選手を引きずり下ろすような選手が現れなかったという方が正しい。守備のリスクは差し引いても、4番金本という存在に頼らなければならない実情がチーム内にあった。本来は、若手選手の台頭によって自然にベテラン選手が押し出されるかたちが一番望ましいわけで、金本選手自身もそのかたちを望んでいるような発言が度々聞かれた。自身の衰えを感じながら、それでもまだ若い選手には負けていないという自負心との狭間でずいぶんと悩んだことだろう。「これ以上出てもチームに迷惑をかけてしまう。とくに投手にね。勝つための手段として、決めました。」と語った金本選手。決断した後、実はホッとしたのではないだろうか。

 足かけ12年の大記録。近年は2度の左膝手術を乗り越え、満身創痍の身体で騙し騙しここまできたが、今年開幕前に右肩を痛め、これが致命傷となった。今シーズンの阪神のゲームで走者2塁からレフト前ヒットを打たれた際、相手チームの3塁コーチは全て腕を回した。バックホームが出来ない。これはもはやプロ野球の姿ではなかった。昨日の対横浜戦。葛城選手がレフトの守備についた。金本選手以外の選手が阪神のレフトを守るのは実に8年ぶりのこと。同じ走者2塁でのレフト前ヒットの場面で、今シーズン初めて相手チームの3塁コーチが走者を止めた。これが本来のプロ野球の姿であると感じたと同時に、何とも言えない切なさを感じた。

 金本選手は代打で出場し、フルイニングの記録は途絶えたものの連続試合出場の記録は1638試合と更新中。でも、それももういいのではないだろうか。もし、まだ気持ちが切れていないのであれば、ここで一旦全てをリセットして、身体を休めて改めて臨んで欲しい。全てをリセットした後、また以前のような活躍を見せてくれることによって、記録のために出続けてきたわけではないという自身の言葉を証明して欲しい。それが例え4番じゃなくても、代打であっても・・・。


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by sakanoueno-kumo | 2010-04-19 18:32 | プロ野球 | Comments(0)  

龍馬伝 第16話「勝麟太郎」

 坂本龍馬の生涯に最も大きな影響を与えたのが、この勝麟太郎(勝海舟)との出会いだったというのは誰もが知るところだろう。もっと大袈裟にいえば、この二人の出会いが、後の日本の運命にも大きな影響を与えたといっても言い過ぎではないかもしれない。幕末の風雲児・坂本龍馬は、この軍艦奉行並・勝麟太郎の知遇を得たことによって作られた。この運命的な出会いは、いつ、どのようにして実現したのだろう。

 最も馴染み深い話は、龍馬と千葉重太郎の二人で、開国論者であった勝麟太郎を斬るつもりで訪ねたものの、麟太郎に世界情勢を説かれ、逆に弟子入りしてしまったというエピソード。司馬遼太郎著「竜馬がゆく」を始め、多くの物語でこの話は使われている。しかし今回のドラマではこの話は採用されていなかった。この説の根拠は、明治中期になって麟太郎自身が著した「追賛一話」「氷川清話」に詳しく、ほぼ通説のようになっているが、実はこの話は麟太郎の創作した法螺話という見方が正しいようだ。というのも、自分を斬りに来たというほどインパクトのある来訪者のことを、同時期の麟太郎の日記にはまったく記されていない。勝海舟と名乗った晩年の麟太郎には法螺癖があり、そこがまた勝海舟という人の味のある一面なのだが、それゆえ彼の語るエピソードは話半分で考えなければならないようだ。

 それでは何故、龍馬が麟太郎に出会えたのか。ドラマでは、まず越前藩前藩主であり幕府政治総裁職でもある松平春嶽と会見し、そこで麟太郎に自分を紹介してくれるよう懇願していた。何の名声もない一脱藩浪人の龍馬が、幕府のお偉方である春嶽にそう簡単に会えるはずがない・・・と思いがちだが、実はこの話は本当のようで、春嶽自身が書き残したいくつかの記録に出ている。ドラマのように千葉定吉の口利きがあったという史料は残っておらず、どういうコネがあったかは定かではないが、とにかく龍馬は春嶽に会っていた。同行者は近藤長次郎間崎哲馬の二人だったようだ。どういう目的で春嶽と会見したかはわからないが、彼らにとって雲の上の人物とも言える春嶽に会おうという発想と行動力に驚かされる。龍馬の大器の片りんが垣間見れるエピソードだ。

 龍馬が春嶽と会見したのは文久2年(1862年)12月5日。この4日後の12月9日の「海舟日記」の中に、「此夜、有志、両三輩来訪。形勢の議論あり。」という記述がある。これこそが、龍馬と間崎哲馬、そして近藤長次郎の三人ではないかと考えられている。であれば、春嶽との会見によって麟太郎への紹介状をもらい、その4日後に来訪したという考え方が最も自然だ。龍馬が麟太郎への紹介を望んだのか、春嶽が麟太郎に引き合せようと考えたのかはわからないが、こうして坂本龍馬と勝海舟の運命的な出会いは実現した。今話のドラマの設定は、極めて史実に近いかたちだと思う。

 春嶽からの紹介とあって仕方なく会見したものの、龍馬の器を見抜けず×××の評価で追い返してしまった麟太郎。勝麟太郎の人柄といえば、せっかちで癇癪持ちの性格だったというのは有名なところ。一目会って運命を感じた・・・なんてベタな設定よりも、この方が実に麟太郎らしくていい。博多弁ならぬ、べらんめぇ口調の武田鉄也さんも新鮮だった。次週からの龍馬と麟太郎のかけ合いが楽しみだ。


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by sakanoueno-kumo | 2010-04-19 00:50 | 龍馬伝 | Comments(6)