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2010年 04月 26日 ( 1 )

 

龍馬伝 第17話「怪物、容堂」

 坂本龍馬と結婚の約束をしていたといわれている千葉佐那。明治26年(1893年)に発行された「女学雑誌」の誌上に、「坂本龍馬の未亡人を訪ふ」というタイトルで談話が掲載され、その中で彼女は龍馬から求婚された事実を語っている。そして父・千葉定吉の承諾も得て、「天下静定の後を待って華燭の典を挙げん」と約束をしたという。司馬遼太郎著「竜馬がゆく」では、佐那(同小説ではさな子)が想いを打ち明け、そのお返しに龍馬は自分の着ていた紋付の片袖を破り渡したと描かれているが、明治26年の佐那が語るところでは、婚約のしるしとして千葉家から短刀一振りを贈り、龍馬からは松平春嶽から拝領した袷衣を返したという。佐那は生涯この袷衣を形見として側に置いていた。

 ドラマではつれなかった龍馬だが、実際には佐那に恋心を抱いていたようで、そのことがうかがえる姉・乙女に宛てた手紙が残っている。「此はなしはまづまづ人にゆはれんぞよ。すこしわけがある。」という書き出しで始まるこの手紙には、千葉家の佐那という娘の歳は26歳で、乗馬や剣、薙刀に優れ、琴、絵画にも通じ、もの静かで、よけいなことを言わず、平井かほよりも美人であると紹介している。「まあまあ、今の平井、平井。」と書かれており、「平井に変わって今一番好きな人。」といった意味らしい。かなりゾッコンだったようだ。

 この手紙から4年後にこの世を去った龍馬。このとき既に30歳になっていた佐那は生涯独身を通し、維新後、華族女学校(学習院女子部)の舎監をした後、千住の長屋の一角で千葉家家伝の鍼灸を生業として暮らし、明治29年(1896年)、59歳で生涯を閉じる。東京・谷中の墓地に埋葬されたが、独身ゆえ無縁仏になりそうだった為、鍼灸院の患者だった自由民権運動家・小田切鎌明の妻、豊次が不憫に想い、菩提寺だった清運寺に分骨し墓を建てたという。彼女の墓石の裏には「坂本龍馬室」と刻まれている。これまで剣術を学ぶ女性の墓参者は時折あったそうだが、今年はドラマの影響で訪れる人が後を絶たないらしい。きっとお墓の中で驚いていることだろう。

 山内容堂が牙をむきはじめた。
「土佐藩を動かしているのは藩主豊範侯でも武市半平太でもねぇ。あの御仁よ。」
麟太郎の言うとおり、まぎれもなく土佐藩を動かしていたのはこの怪物・容堂。
「最近は土佐にも、時勢に乗じて調子に乗りすぎている輩もおる。」
「土佐ではのう、下士は犬猫同然なのじゃ。下士の分際で藩を動かすなど虫唾が走る。」

 吉田東洋を消し、土佐藩のイニシアティブをとったと錯覚した武市半平太。しかし歴史上、暗殺をもってして大業を成した人物はいない。そんなことにも気がつかなかった半平太は、容堂の言うとおり、時勢に乗じて調子に乗りすぎていたのかもしれない。
「上り坂もここまでじゃ・・・武市・・・。」


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by sakanoueno-kumo | 2010-04-26 23:42 | 龍馬伝 | Trackback(5) | Comments(8)