2012年 07月 20日 ( 1 )

 

『ドラえもん』は子ども社会の縮図。

e0158128_0191659.jpg唐突ですが、私は常々『ドラえもん』というマンガは実によく出来た作品だと思っています。
というのも、あそこに登場する、のび太、ジャイアン、スネ夫の関係は、まさしく子ども社会、ひいては男社会の縮図だといってよく、男3人以上が集まれば必ずこの型にはまるといっても過言ではないと思うからです。
のび太ばかりが集まれば平和になるかというと、その中からジャイアン的存在になる者が必ず出てきますし、ジャイアンばかりが集まれば、その中で弱い者はのび太になる。
で、上にも下にもならずにすんだ(あるいはなれなかった)者は、長いものに撒かれてスネ夫になります。
子供社会においてはさらに顕著で、誰もが皆、ジャイアンになったりのび太になったりしながら大人になっていくものだと思うんですね。
女の子のことはわかりませんが、男の子であれば、大人になる過程で少なからずジャイアン、のび太のどちらにもなった経験があるんじゃないでしょうか(どちらが多かったかはあると思いますが)。
誰もが共感できるこの縮図が、『ドラえもん』という作品が長く支持されてきた理由のひとつかなと・・・。

ところが最近のアニメでは、昔に比べてジャイアンが優しくなっているようです。
特に映画でのジャイアンは、乱暴者だけど仲間思いのいいヤツで、藤子不二雄氏の原作漫画のような横暴で理不尽なイジメっ子ではありません。
これは、教育現場や子どもを持つ親からの声を反映し、「いじめ」という社会問題への配慮だとか。
理解に苦しみますね。

「いじめ」は昔から存在しますし、「いじめ」を世の中からなくすことは不可能だと思います。
であれば、教育現場は「いじめ」をなくすことを考えるのではなく、「いじめ」はあるものだと考えて、それによる被害を少しでも小さくする考え方に対策を切り替えるべきでしょう。
その意味では、ジャイアンを優しく描くことが「いじめ」対策になるとは思えません。
だって、現実の子どもたちの社会には必ず横暴なジャイアンがいるのに、アニメの世界ではみんな仲良しでいいヤツしか出てこないのですから、そんな“非現実的”な物語に誰が共感するでしょうか。
浄化された空気や水の中では生き物は強く育ちません。
きれいなものだけを見せていれば、きれいな心に育つというものではないと思います。

昔の『ドラえもん』の中に出てくるジャイアンはあくまで横暴なイジメっ子で、虫の居所が悪いと暴力を振るい、自分に従わないヤツは仲間はずれにし、自分が欲しいと思ったものは力づくで取り上げます。
でも、物語ではそんなジャイアンが必ず最後にしっぺ返しを食う結末が待っていました。
それを見て子どもたちはカタルシスを感じ、一方で、意地悪をすれば必ずバチが当たるといった教訓を得るわけです。
『水戸黄門』と同じですね。
そんな「勧善懲悪」的ストーリーこそが、子どもには最もわかりやすく効果的だと思いますし、この場合ほとんどの子はのび太に感情移入するでしょうから(ジャイアンに感情移入する子はまずいないでしょう)、弱者の気持ちになって考えるという学習効果を得ることができます(ジャイアン=悪玉のび太=善玉という考えは短絡的だというご意見もあろうかと思いますが、それはひとまず置いといて、ここでは、弱い者いじめをすれば必ずしっぺ返しを食うという意味での勧善懲悪です)。

はっきり言って、みんなお手手つないで仲良しこよし・・・なんて、世の母親の幻想にすぎません。
少なくとも男の子の友だち関係は、大なり小なり“力関係”で成立しているといっていいでしょう。
その延長線上にあるのが「いじめ」だと思います。
その「いじめ」による被害を少しでも小さくするためには、いじめる側に、「いじめることの怖さ」を教えるべきだと思います。
そのためには、ジャイアンにはもっと悪玉であってもらわねばなりません。
「ほら見てごらん。ジャイアンは弱い者いじめばかりしているから、最後は結局痛い目にあうだろう!君もジャイアンのようになりたくなかったら、弱い者いじめはやめようね!」
優しいジャイアンを見せるよりも、このほうが断然子どもの心に響くと思いますけどね。


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by sakanoueno-kumo | 2012-07-20 16:44 | 時事問題 | Trackback(1) | Comments(8)