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2014年 09月 23日 ( 1 )

 

軍師官兵衛 第38話 「追い込まれる軍師」 ~官兵衛を警戒する秀吉~

 「お主の父鎮房は、関白殿下の命により中津にて成敗した。お主にも死んでもらう。腹を切れ。」
 中津城にて留守を預かっていた黒田長政が、宇都宮鎮房謀殺したという知らせを聞いた黒田官兵衛は、すぐさま出陣中の肥後国にて、鎮房の息子・宇都宮朝房の命を奪います。詳細はわかりませんが、自刃させたとも言いますし、家臣によって暗殺されたとも伝えられます。ドラマではどのように描かれるか興味深かったのですが(まさか助けたりしないだろうなぁと)、まずは切腹を申し付け、狼狽える朝房を自らの手で殺害するといった、なかなか迫力あるシーンだったと思います。家臣に首を打たせるのではなく、官兵衛自ら手をかけたところが、もはや後戻りできないといった官兵衛の覚悟がうかがえる演出だったんじゃないでしょうか。喚く朝房に歩み寄った官兵衛の哀れみの目は、死にゆく朝房に向けたものだったのか・・・あるいは、関白殿下の命に逆らえない自身に対するものだったのか・・・。

 朝房と同じく黒田家の人質となっていた鎮房の娘・鶴姫は、哀れんだ官兵衛が豊臣秀吉に助命嘆願し、釈放されてひっそりと暮らした・・・とも言いますが、別の説では、長政によって侍女とともににされて殺害されたとも伝えられます。ドラマでは、の機転によって逃されていましたね。まあ、それもありなんじゃないでしょうか。

 長政は鎮房を謀殺したのち、その亡霊に恐れおののいたとの伝承があります。また、官兵衛は鎮房を謀殺したことを悔い、中津城内に城井神社を創建してその霊を祀りました。他にも、のちに朝房が殺害された肥後国の国主となった加藤清正は、朝房の霊を弔うために宇都宮神社に祀ったといいます。それらの伝承から想像できることは、官兵衛、長政父子にとっても、鎮房謀殺は決して本意ではなかっただろうということ。城井谷の人々は、こののちも黒田家を恨み続け、現代でもその空気は残っているといいます。黒田家にとって大きな汚点ともいえる鎮房謀殺ですが、それほどのリスクを背負ってでも、秀吉には逆らえないといった空気に覆われ始めていた時代だったということでしょうね。

 そんな秀吉が、官兵衛を警戒していたという有名なエピソードが出てきましたね。あるとき秀吉が、「自分の死後、次に天下を治めるのは誰か」と家臣に尋ねたところ、家臣たちが徳川家康前田利家の名をあげるなか、秀吉はそれらをすべて否定して官兵衛の名をあげたといいます。曰く、「官兵衛がその気になれば、自分が生きている間にも天下を取るだろう」と。それを聞いた家臣たちは、官兵衛は小身の大名に過ぎないと答えますが、秀吉は、「官兵衛に百万石を与えたらすぐにでも天下を奪ってしまう」と答えたとか。官兵衛はこの話を伝え聞くと、「我家の禍なり」と、すぐに剃髪して如水と号し、隠居したといいます。

 この有名なエピソードは、幕末の館林藩士・岡谷繁実によって編纂された『名将言行録』に記されたものだそうです。この『名将言行録』は、入念な調査、検証を行って書かれたものではなく、歴史学的には信憑性に乏しい「俗書」扱いされているもののようですね。これと似た話でいえば、『名将言行録』より100年以上前に岡山藩士・湯浅常山によって記された『常山紀談』のなかにある話で、ある日、秀吉が官兵衛に対して次の天下人は誰かと問うたところ、毛利輝元の名前をあげた官兵衛に対して、秀吉は「目の前の者である」と答えたといいます。『名将言行録』のエピソードは、『常山紀談』のなかの話を脚色して盛った話かもしれませんね。ただ、その『常山紀談』も、官兵衛の死後100年以上経ってからの書物であり、信憑性があるとは言えません。つまるところ、秀吉が官兵衛を天下人の器として警戒していたという逸話は、明確な根拠がないんですね。

 しかしながら、火のないところに煙は立たぬ、後世の過大評価も多少はあるでしょうが、秀吉と官兵衛の間に何らかの溝が生じ始めてはいたんでしょうね。秀吉を天下人に押し上げ立役者の官兵衛ですが、それゆえ天下人になった秀吉にとっては、疎ましい存在になっていたのかもしれません。
 「耳の痛いことを言ってくれるお方がおられるうちが花でございます。」
 この千利休の台詞が、案外的を射ているかもしれませんね。


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by sakanoueno-kumo | 2014-09-23 21:40 | 軍師官兵衛 | Trackback(1) | Comments(2)