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2016年 05月 30日 ( 1 )

 

真田丸 第21話「戦端」 ~北条氏の上洛と沼田領問題~

 天正17年(1589年)5月、待望の嫡男が誕生し、関白公邸の聚楽第には後陽成天皇(第107代天皇)の行幸を迎え入れるという一大イベントを成功させ、まさに天下人として絶頂期を迎えつつあった豊臣秀吉でしたが、一方で、それでも上洛しようとしない関東の北条氏に苛立ちを募らせていました。そこで秀吉は、聚楽第天皇行幸が終わってすぐ、北条氏と同盟関係にある徳川家康を差し向け、北条氏政、氏直父子に上洛を強く要請します。このとき、ドラマのとおり家康は、「誰も上洛に応じない場合、北条家とは断交し、氏直に嫁がせている娘・督姫を返していただく」とまで言って圧力をかけたといいます。

e0158128_21204350.jpg この家康からの要請をうけた氏政は、上洛の条件として、棚上げとなっている沼田領問題の解決を訴えます。天正壬午の乱以降ずっと引きずっているこの領土問題と、北条氏が豊臣傘下に入るという話とはまったく無関係といえますが、北条氏としては、自らの上洛を取引材料にして、関白秀吉の力を借りて沼田問題の決着をつける腹だったのでしょう。そこで、北条氏は重臣の板部岡江雪斎を名代として上洛させ、秀吉にその採決を委ねたのでした。

三成「むしろ好都合ではございませぬか? 沼田を真田から取り上げ北条に渡す。その采配を殿下が行うのです。殿下は、大名同士の勝手な争いを禁じられました。そのよき手本になるかと。」

北条からの上洛の条件を聞いて苦虫を噛み潰す秀吉に対して、石田三成が言った台詞ですが、まさしく、これは秀吉の発令した「惣無事令」に沿った解決法でした。これまで、領土は戦で切り取るものでしたが、豊臣政権の元に天下が統一されるこれからは、天下人である秀吉の裁決によって決められる。これが、新しい国のかたちだということです。豊臣政権にしてみれば、沼田領問題はそれを天下に示す絶好のネタだったといえます。

 しかし、真田昌幸にしてみれば、釈然としない思いがあったでしょう。沼田領は昌幸が自力で切り取った領地であり、北条氏はその沼田城攻めに何度も失敗している。それを、徳川氏と北条氏の講和条件に勝手に入れられて割譲を迫られたわけですから、納得できるはずがありませんでした。氏政にしてみても、家康の協定違約だという思いがあったでしょうから、引き下がるわけにはいかなかったでしょう。

 家康「沼田、沼田と・・・まるで、喉に刺さった小骨じゃのう。」

 いやいや! そもそもあんたが出来ない約束をしたからでしょう(笑)! 天正壬午の乱以降、足掛け7年に及ぶこの難問の着地点は、新しい時代の新しい解決法で決着を見ることになります。

e0158128_20022019.jpg ちなみに余談ですが、談判の席で上段に座った秀吉が「関白太政大臣豊臣の秀吉であるぞ。」と言ってましたよね。今回のドラマでは秀吉が自身を名乗るとき、豊臣“の”秀吉と言っていますが、一般にあまり耳慣れないですが、実はこれが正しい「豊臣秀吉」の読み方です。一般に秀吉は関白になって「羽柴」から「豊臣」に変わったと思われていますが、それは間違いで、「羽柴」は苗字、「豊臣」は。ですから、「豊臣」になっても苗字が「羽柴」であることに変わりはありません。「氏」とは、源氏・平氏・藤原氏・橘氏に代表される天皇家から下賜された冠名のことで、「豊臣」は、それに続く新しい「氏」として、秀吉が天皇家から与えられたものです。「氏」と名の間には“の”を入れるのが正しく、例えば平清盛(たいらのきよもり)、源頼朝(みなもとのよりとも)、藤原鎌足(ふじわらのかまたり)と同じように、豊臣秀吉(とよとみのひでよし)と読むのが正しいんですね。

 ちなみにちなみに、自称平氏だった織田信長の正式名称は「平朝臣織田三郎信長」源氏を称していた家康は、「源朝臣徳川次郎三郎家康」となります。ですから秀吉の場合は、「豊臣朝臣羽柴藤吉郎秀吉」となるのかな? まあ、教科書でも、豊臣と秀吉のあいだに“の”は入れてませんし、「羽柴」から「豊臣」に変わったように書かれてたと思いますから、一般に知られてなくて当然ですけどね。今年の大河ドラマは、そういった細かいところにもこだわって制作されていることがわかります。



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by sakanoueno-kumo | 2016-05-30 21:27 | 真田丸 | Trackback | Comments(2)