ここでまた少し神戸市を離れて、たつの市にある「室山城跡」を訪れました。
築城は播磨の守護大名・赤松則村(円心)といわれ、建武3年(1336年)に足利尊氏が九州に敗走する途中、西下して来る新田義貞の追討軍を阻止すべく、防衛拠点とした城といわれています。
円心は、長男の赤松範資を室山城の守りにつけますが、新田義貞軍によって落城。
その後、範資は円心の白旗城に逃れます。

室山城は兵庫県たつの市の南西端、瀬戸内海に面した岬の先にあります。
江戸時代には参勤交代の宿場町として大いに栄えたという室津港が近くにありますが、現在は小さな漁港町となっています。

城跡の遺構は残っていませんが、カーブとT字路の多い町並は、かつて城があったことを感じさせてくれます。
写真は二ノ丸公園からみた瀬戸内海の景色です。

二ノ丸公園から坂を登っていくと、本丸跡と見られる高台をぐるりと道が囲っています。

左は高台、右は崖です。
いかにも城跡っぽい地形ですね。

高台に登る坂を進むと、石碑が設置されています。

石碑南面には「遠見番所跡」と記され、東面には「室山城跡」とあります。

本丸跡と見られる高台は、一応城跡っぽい石垣に囲われています。
もちろん、遺構ではありません。

高台頂上です。
たぶん、ここが本丸跡です。

片隅に目をやると・・・「売物件」の看板が!
なんと、本丸跡が売りに出されていました(笑)。
これって、なんとかならないのかなぁ・・・。

本丸跡から望む瀬戸内海です。

城跡を離れて、近くの「道の駅」から城跡のある岬を望みます。
その後、室町幕府のもとで播磨の守護となった円心は、この地に孫の本郷掃部助直頼、赤松雅楽助頼則を置いて守らせました。
さらに時代は下って嘉吉の乱以後は、山名持豊(宗全)の城となりますが、応仁の乱以降は、浦上氏の城となり、赤松氏と対立します。
2014年の大河ドラマ『軍師官兵衛』で、黒田官兵衛の初恋の相手が婚礼の日に赤松氏の襲撃で命を落としたエピソードがありましたが、あの舞台は、ここ室山城です(実際は、官兵衛の妹と伝わります)。

ここ室津のまちでは、黒田の姫の死を悼んでひな祭りを半年延期、8月に行う「八朔のひな祭り」という風習があるそうです。
この辺りは、冬は牡蠣が美味しいんですよね。
さて、次回は範資が逃げ込んだ白旗城を訪れます。
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▲ by sakanoueno-kumo | 2017-06-17 00:14 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)