少し北に戻って、「その72」で紹介した白旗城跡のある白旗山の西麓にある「赤松居館跡」を訪れました。
国道373号線沿いにある駐車場には、「赤松円心の郷」と書かれた大きな観光用看板があります。

駐車場内には、赤松則村(円心)を紹介する大きな陶板があります。
とにかく、町全体で円心推しですね。

居館跡です。

何もないただの広場です。

説明板です。

説明板によると、東西105m、南北約55mのほぼ方半町に削平された台地上の字「御屋敷」にあり、ここが「赤松居館跡」と伝えられているそうです。
史料によると、円心の三男・赤松則祐により建てられ、のちにその子・赤松義則によって修理されているそうです。
また、その子孫で赤松氏を再興した赤松政則も、一時ここに住んでいたとか。

東側の幼稚園(現在は廃園となり、「赤松の郷昆虫文化館」となっている)の建設前に行われた調査では、土師器皿などの中世の遺物が出土したそうで、ここが赤松氏代々の居館跡と考えて間違いなさそうです。

居館跡の一角には、なぜか「苔縄城址」と刻まれた石碑があります。
ここは「その73」で紹介した苔縄城跡からは、3km以上離れています。
どういう意味でしょう?

居館跡から望む白旗城跡です。
この時代の山城というのは居住スペースではなく、臨戦態勢に入ったときに籠るための砦であって、平時は麓の居館に住むのが一般的でした。
いつもあんな山の上に居たんじゃ、領民に目を配れないですからね。
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▲ by sakanoueno-kumo | 2017-06-27 23:57 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)