大阪市住吉区にある極楽寺に、楠木正成が奉納したと伝わる灯籠があると聞き、足を運びました。

門の横にある石碑には、「毘沙門天王」と刻まれていたそうですが、表面が削れて「天王」の部分が確認できません。

その右上には「楠正成」と刻まれていますが、その後は読解できず・・・。
いつの時代に建てられた石碑かはわかりませんが、かなり古いもののようです。

本堂左に見えるのが、正成が奉納したと伝わる灯籠です。
極楽寺の創建は不明ですが、本尊の毘沙門天は聖徳太子の真作で、ここから南に広がっていた榎津庄(奈良~平安期に見られる郷)にあった寺のものと伝えられています。

正成の父が子供を授からないのを悲しみ、この毘沙門天王に50日の願をかけたところ、妻が身ごもり誕生したのが、のちの正成だったとの伝承があります。
この話を父母から聞かされていた正成は、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)の住吉行幸に同行した折にここに立ち寄り、報恩のため石灯篭を寄進したと伝えられます。

灯篭には「建武三年三月楠木正成建」の銘があるとのことですが、表面の風化が甚だしく、その銘を確認することはできません。

でも、建武3年(1336年)3月といえば、打出合戦で足利尊氏を撃退してから1ヶ月後のことで、後醍醐天皇の住吉行幸のときではないんじゃないかと。
まあ、伝承なんて、そんなもんでしょうけどね。

境内には、「正成手植えの楠」と伝わる巨樹がそびえます。
確かに大樹ではありますが、樹齢700年近いとは思えないような・・・。

伝承が本当なら、正成はこの灯籠を奉納した2ヶ月後、湊川の戦いで討ち死にすることになります。
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▲ by sakanoueno-kumo | 2017-07-14 01:39 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)