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2017年 10月 17日 ( 1 )

 

太平記を歩く。 その143 「勝手神社跡」 奈良県吉野郡吉野町

南北に細長い吉野山のちょうど中央あたりにある、勝手神社跡を訪れました。

ここは吉野八社明神のひとつで、大山祇神、木花咲耶姫など六柱の神を祭神としています。


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吉野大峯の山々を鎮める信仰があり、吉野山口神社ともいいます。

また、仏法守護の神、軍神としても有名です。


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ただ、ここの社殿は、平成13年(2001年)9月27日、不審火により焼失してしまったそうで、いまは礎石を残すのみとなっていました。

ひどいことするやつがいたものです。


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正平3年/貞和4年(1348年)1月28日、足利方高師直の大軍は、後村上天皇(第97代天皇・南朝第2代天皇)の吉野皇居を攻め、金峯山寺蔵王堂をはじめとする吉野山の主な堂塔伽藍を焼き払いました。


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後村上天皇はその難を避けて、さらに吉野の奥に落ち延びますが、その途中、この社前で馬を下り、


「たのむかひ 無きにつけても誓ひてし 勝手の神の名こそ惜しけれ」


と、詠まれたそうです。

天皇の無念の様子がうかがえる逸話ですが、火の海と化した吉野の山中で、悠長に歌を詠まれる余裕などあったのかどうか・・・。

無粋なことをいうようですが。


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社殿の創建は不明で、慶長9年(1604年)に豊臣秀頼が改築をしましたが、正保元年(1644年)12月に焼失したため、翌年に再建、明和4年(1767年)に再び火災に遭い、9年後の安永5年(1776年)4月に再建されました。

しかし、先述したとおり、平成13年(2001年)に不審火によって焼失し、現在に至ります。

日本の木造建造物は、火災との戦いの歴史です。


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敷地内には、再建復興御寄付のお願いと書かれた看板が立てられていました。

一日も早く再建できるよう願います。



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by sakanoueno-kumo | 2017-10-17 23:53 | 太平記を歩く | Comments(0)