2018年 04月 20日 ( 1 )

 

幕末京都逍遥 その38 「池田屋事変殉難志士墓所跡碑」

三条大橋を東に渡って100mほど歩いたところに、「池田屋事変殉難志士墓所跡」と刻まれた石碑が建てられています。

かつて、この場所には三縁寺」という寺があり、元治元年6月5日(1864年7月8日)に起きた池田屋事件で討死した攘夷派志士たちが葬られていました。


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事件発生後、現場に打ち捨てられたままになっていた志士たちの遺体は、ここにあった三縁寺に運び込まれました。

そのメンバーは、熊本藩の宮部鼎蔵、松田重助、長州藩の吉田稔麿、杉山松助、廣岡浪秀、土佐藩の北添佶摩、石川潤次郎、望月亀弥太、林田藩の大高又次郎の9人だったといいます。

そのうち、宮部、松田、吉田、杉山、北添、石川、大高の7人は、のちの明治政府により「殉難七士」と呼ばれるようになります。


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三縁寺は、昭和54年(1979年)に京阪電鉄三条駅前開発にともない、左京区岩倉花園町に移転したそうで、その際、志士の遺骨も発掘され、岩倉の新墓地に改葬されました。


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移転するにあたって、三縁寺と京阪電車との間で「維新史蹟池田屋事変三縁寺墓所跡」という石碑を建立するという契約が結ばれたそうですが、その後30年、建碑は行われていませんでした。

ようやくこの石碑が建てられたのは、平成22年(2010年)だったそうです。


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現在、石碑の建つ場所は、バイク置き場になっています。




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by sakanoueno-kumo | 2018-04-20 23:37 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)