2018年 05月 11日 ( 1 )

 

幕末京都逍遥 その52 「金蔵寺跡(坂本龍馬・お龍内祝言の地跡)」

前稿で紹介した土佐藩士たちの隠れ家で、元治元年(1864年)5月頃に出会った坂本龍馬お龍は、同年8月初旬に青蓮院塔頭金蔵寺祝言を挙げます。

現在、金蔵寺のあった場所には、「坂本龍馬 お龍 結婚式場跡」と刻まれた石碑が建ちます。


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後年のお龍の回顧録によると、2人の出会いは、龍馬の一目惚れにはじまったそうです。

そして、龍馬はお龍の母・にお龍を妻にしたいと申し入れ、出会って3ヵ月のスピード結婚となりました。

さすがは龍馬、行動力一級品です。

ただ、龍馬とお龍の祝言は「内祝言」、すなわち内々の結婚式でした。

このときの龍馬は神戸海軍操練所を拠点に江戸や京都や福井を行ったり来たりで、しかも、命を狙われる身でもあり、結婚を公にすることはお龍を身の危険に晒すことになると考えたからでしょう。

祝言を終えた龍馬は新婚生活を楽しむいとまもなく、お龍を伏見寺田屋に託します。

結婚後、いきなりの別居生活だったわけです。


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ドラマや小説などでは、慶応2年1月23日(1866年3月9日)伏見寺田屋遭難でお龍が裸で龍馬を助けたあと、避難した薩摩藩邸で西郷隆盛の媒酌のもとに2人は夫婦の契りを結んだように描かれることが多いですが、実はその説は根拠が薄く、お龍の回顧談を信じるべきでしょう。

2人の結婚はごく限られた者しか知らなかったため、そのような説が出たのでしょうね。

となれば、日本最初の新婚旅行として知られる霧島山の旅は、実はすでに新婚ではなかったことになりますね。


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2人が青蓮院塔頭金蔵寺で祝言を挙げたのは、おそらくお龍の亡き父が青蓮院で侍医を務めていた縁からだったのでしょう。

2人の結婚は今でいう恋愛スピード結婚で、どこか現代的ですね。

いかにも坂本龍馬とお龍らしいといえるでしょうか。




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by sakanoueno-kumo | 2018-05-11 00:18 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)