2018年 05月 15日 ( 1 )

 

幕末京都逍遥 その54 「京都御所」

京都御所にやって来ました。

言うまでもなく、明治維新までの天皇のお住い(内裏)ですね。

延暦13年(794年)に桓武天皇(第50代天皇)が平安京に遷都して以来、1000年以上の長きに渡って天皇のお住いは京都でしたが、当初の内裏は現在の京都御所よりも1.7km西の千本通り沿いにあったといわれ、現在の京都御所の場所は、「土御門東洞院殿」と言われた里内裏(内裏が火災で焼失した場合などに設けられた臨時の内裏)のひとつで、元弘元年/元徳3年(1331年)、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が京都を脱出した後に鎌倉幕府が擁立した光厳天皇(北朝初代天皇)がここで即位されて以降、明治2年(1869年)に明治天皇(第122代天皇)が東京に移られるまでの538年間、皇居として使用されてきました。


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写真は、京都御苑南から望む京都御所です。

はるか遠くに見えるのが、御所南面の入口「建礼門」です。


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こちらがその「建礼門」です。

御所の正門にあたる入口で、天皇が臨幸の際に開かれます。

文久3年(1863年)の八月十八日の政変の際、かけつけた壬生浪士組がこの門を警護し、その功から、3日後の8月21日に「新選組」の名を賜ったとされるゆかりの門です。


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建礼門のある御所南側の塀です。

東西約250mあります。


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上の写真は、東南にある「建春門」です。

唐破風の屋根で、勅使の出入りに用いられたそうです。


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こちらは北面にある「朔平門」


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他にも皇后門、清所門、宜秋門があるのですが、ごめんなさい、写真撮ってませんでした。

現在、御所の一般公開の出入り口は清所門となっています。

御所内のすべてが公開されているわけではありませんが、順路に従って見ていきましょう。


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写真は「御車寄」です。

公卿をはじめとする高位の貴族などが、天皇との対面のために使用した玄関だそうです。


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こちらは「諸大夫の間」

参内した公家や将軍家の使者の控室で、身分に応じて部屋が決まっていて、写真の右側にいくほど身分が高く、「虎の間」「鶴の間」「桜の間」と、ふすまの絵にちなんで呼ばれています。


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こちらは「新車寄」。

大正4年(1915年)、大正天皇(第123代天皇)の即位礼が行われた際、馬車による行幸に対応する玄関として新設されたものだそうです。


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こちらは、御所南面の建礼門を潜ってすぐの場所にある「承明門」

紫宸殿正門にあたります。


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承明門の向こうに紫宸殿が見えます。


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そして、こちらがその「紫宸殿」

京都御所において最も格式の高い正殿であり、即位礼などの重要な儀式がここで行われたそうです。

建物は安政2年(1855年)の造営だそうですが、伝統的な儀式が行われるように平安時代の建築様式で建てられています。

慶応4年(1868年)には、明治天皇がここで「五箇条の御誓文」を示されたそうです。


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こちらは紫宸殿の北西にある「清涼殿」

かつては天皇の住居だったそうですが、天正18年(1590年)に御常御殿に住居が移ってからは、主に儀式の際に使用されました。


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こちらは「小御所」

江戸時代は将軍や大名などの武家との対面や儀式の場として使用された場所で、慶応3年12月9日(1868年1月3日)に発せられた「王政復古の大号令」の際、将軍・徳川慶喜および徳川家の処置を定めた「小御所会議」が行われた場所です。

明治天皇を「幼い」と発言した土佐の山内容堂に対し、岩倉具視「無礼者!」と一括したエピソードは有名ですね。

また、その岩倉具視に対して西郷隆盛が、短刀一本あれば片が付く」と言って反対派と差し違える覚悟を迫ったという逸話も、ここでのことです。


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こちらは小御所の北にある「御学問所」

慶応3年12月9日(1868年1月3日)、ここで明治天皇が「王政復古の大号令」を発せられました。

ちなみに、建物前のスペースは「蹴鞠の庭」だそうです。


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そして最後に、こちらが「御常御殿」

天正18年(1590年)以降の天皇のお住いでした。

「幕末」と言われる時代、ここにお住いだったのは孝明天皇(第121代天皇)でした。

この孝明天皇が大の外国人嫌いだったため、尊王攘夷派象徴的存在となり、やがてその思想が討幕の勢力となっていくのですが、当の孝明天皇自身は討幕の意志など毛頭なく、大の佐幕家だったんですね。

ここに、幕末の動乱のややこしさがあります。


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御常御殿前の庭園です。

この庭を眺めながら、孝明天皇は何を思っていたのでしょうね。

まさか、平安京が自身の代で終わることになるとは、夢にも思っていなかったことでしょう。




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by sakanoueno-kumo | 2018-05-15 22:56 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)