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2018年 05月 22日 ( 1 )

 

幕末京都逍遥 その59 「近衛邸跡(京都御苑)」

京都御苑の北西の端にある、「近衛邸跡」を訪れました。

近衛家は藤原氏の流れをくむ藤原北家近衛流の嫡流にあたり、五摂家(近衛、鷹司、九条、一条、二条)のひとつです。

「幕末」と呼ばれる時代の当主は近衛忠煕で、前稿で紹介した九条尚忠のあと、関白に就任します。


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幕府第13代将軍・徳川家定の正室となった天璋院篤姫は、近衛忠煕の養女となったあと、徳川家に嫁ぎました。

篤姫は薩摩藩島津家の分家・今和泉島津家の出身で、将軍家に嫁ぐため、まずは本家で薩摩藩主の島津斉彬の養女となり、名を源篤子と改め、その後、江戸に向かう途中に京都に立ち寄り、近衛忠煕の養女となって、名を藤原敬子と改めます(この際、の名は君号となり、篤君(あつぎみ)となりました)。


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篤姫が忠煕の養女となったのは、忠煕の正室が斉彬の姉・郁姫だった縁からでした。

篤姫が京都に滞在したのは1週間ほどだったといいますが、たぶん、ここ近衛邸に滞在したのでしょうね。

ちなみに、篤姫の教育係で知られる幾島は、もとは忠煕の正室・郁姫付きの上臈だった女性で、ここ近衛邸で共に暮らしていました。


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近衛忠煕は安政4年(1857年)に左大臣となりますが、将軍継嗣問題一橋派に属し、戊午の密勅のために献策したため、「安政の大獄」により失脚し、落飾して謹慎に追い込まれます。

その後、復帰して関白に就任しますが、翌年に辞職し、以後は孫の養育に専念し、明治31年(1898年)、90歳まで長寿します。


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近衛邸跡にある池の畔には、「糸桜」と呼ばれる樹齢60年の枝垂れ桜があります。

ここを訪れたのは7月だったので、桜の写真はありません。

きっと綺麗なんでしょうね。



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by sakanoueno-kumo | 2018-05-22 23:45 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(2)