2018年 06月 02日 ( 1 )

 

幕末京都逍遥 その67 「禁門変長州藩殉難者墓所(相国寺内)」

京都御苑北側にある相国寺境内西側の墓地に、元治元年7月19日(1864年8月20日)の「禁門の変」(蛤御門の変)で戦死した長州藩士の墓があります。


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墓地の入口には、「禁門変長州藩殉難者墓所」と刻まれた石碑があります。


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禁門の変で戦死した長州藩士は200名を数えたといいますが、そのうちの20名がここに葬られたそうです。

しかし、その20名のうち氏名が判明しているのは、湯川庄蔵、有川常槌の2人だけだそうです。


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これがその墓です。

墓石には「長藩士戰亡霊塔」と刻まれています。


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墓石の隣に建つ副碑には、藩士がここに葬られた経緯が漢文で記されています。

以下、碑文。


相国寺境内長藩士戦亡霊塔碑

元治甲子之変薩藩士與長藩士

戦於 皇城蛤門獲首二十餘級

乃葬於此建塔標之然経年所之

久世人知者太尠明治三十九年

山口県人桂半助偶見此塔報之

毛利公邸公聞之派人攷覈事実

或曰葬首二十一級或曰葬二十

九級而其姓名亦未得詳之葢湯

川庄蔵有川常槌等在其中也公

命修塔域寄祭資当寺永祈冥福

野衲勤記事由以*後人

明治四十年九月

現相国寺東嶽誌


わたしには、これを読み下す力はありませんが、ネット上で調べたところでは、薩摩藩士が20余りの長州藩士の首を獲り、この地に葬って塔標を建てたそうで、その後、年月が流れてそのことを知る人が少なくなってしまいますが、明治39年(1906年)に山口県人の桂半助が偶然この塔標を見つけ、旧・長州藩主の毛利敬親の孫に当たる毛利元昭に報告したことにより墓は整備され、翌年、その経緯を記したこの副碑が建てられたそうです。


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「禁門の変」で命を落とした長州藩士といえば、久坂玄瑞来島又兵衛といった有名どころを思い出しますが、名もなき志士たちが多数戦死したということを、忘れてはならないですね。




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by sakanoueno-kumo | 2018-06-02 23:09 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)