2018年 06月 14日 ( 1 )

 

幕末京都逍遥 その75 「吉田屋跡(立命館草創の地)」

かつて「三本木」という花街にあった料亭「吉田屋」跡を訪れました。

幕末、吉田屋は尊攘派の志士たちの密会の場として頻繁に利用されており、桂小五郎(木戸孝允)の愛妾だった芸姑・幾松が芸妓時代を過ごしていたのもこの吉田屋だったといいます。

新選組に追われていた桂を幾松が匿ったという有名なエピソードも、ここ吉田屋が舞台だったといわれています。


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また、慶応3年6月22日(1867年7月23日)、薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀、土佐藩の後藤象二郎、寺村左膳、真辺栄三郎、福岡孝弟の両藩首脳が会合し、さらに「浪人の巨魁」として坂本龍馬中岡慎太郎が陪席して締結した「薩土盟約」の会場も、ここ吉田屋だったといいます。

この席で土佐藩は大政奉還論を主張し、その方針に沿って盟約が結ばれます。

すなわち、武力倒幕を原則回避する方針ですね。


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ところが、結局は半年後に鳥羽・伏見の戦いの火蓋が切られます。

そのため、薩摩側にとってこの盟約は、倒幕準備のための時間かせぎだったとか、幕府の大政奉還拒否を想定しての倒幕の名分獲得などの思惑だったとも言われますが、事実はどうだったのでしょうね。

実際、西郷、大久保は武力倒幕派でしたが、小松は大政奉還論だったといいます。

この時点では、まだ薩摩側も揺れ動いていたということではないでしょうか。


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維新後、吉田屋は清輝楼、大和屋旅館として継承され、その後、明治33年(1900年)5月19日に西園寺公望の秘書官だった中川小十郎によって、立命館大学の前身である京都法政学校が創立されました。

現在、「立命館草創の地」と刻まれ、当時の建物の写真が転写された石碑が建てられています。




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by sakanoueno-kumo | 2018-06-14 23:30 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)