2018年 08月 05日 ( 1 )

 

幕末京都逍遥 その108 「西本願寺(新選組屯所跡)」

世界遺産西本願寺にやってきました。

ここは幕末、新選組の第2の屯所となった場所です。


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文久3年(1863年)春に上洛して以来、洛西壬生村の八木邸(参照:その96)や前川邸(参照:その97)を屯所としてきた新選組でしたが、池田屋事件で一躍脚光を浴びると幕府の支援も厚くなり、やがて隊は200人を越える大所帯となり、大人数を収容できる新たな拠点が必要となりました。

そこで、元治2年3月10日(1865年4月5日)に、ここ西本願寺に屯所を移転します。


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新選組が屯所として使用したのは、西本願寺の北東にあった北集会所太鼓楼でした。

北集会所は明治6年(1873年)に姫路市の本徳寺に移設されたため、現在残る新選組ゆかりの場所は、写真の太鼓楼だけです。


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新選組が西本願寺を屯所とした理由は、西本願寺は勤王色が濃いうえに長州藩毛利家とも縁が深く、長州藩士たちが何かにつけ西本願寺を頼りにしていたため、近藤勇はあえてその場所に拠点を移すことで、将来禍根となりうる芽を摘んでしまおうと考えたとたといわれます。

このことが原因で、勤王の志が強かった総長の山南敬助との間に確執が生まれ、やがて山南の脱走、切腹に至ったともいわれます。


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西本願寺に屯所を構えた新選組は、境内で大砲を轟かせ実弾射撃を行うなど、僧侶や信徒にとっては迷惑千万な存在でした。

また、境内で食料としての豚の飼育を行っていたといいます。

当時、僧侶たちにとっては、境内で生き物を殺生するなど、許しがたき野蛮な行為でした。


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新選組が西本願寺を屯所としたのは約2年で、慶応3年(1867年)6月には近くの不動堂村に移転します。

その理由は、西本願寺のたっての願いだったようで、その移転費用も西本願寺が全額負担したそうです。

よほど嫌だったことがわかります。

幕末の京都の治安を守った新選組ですが、西本願寺の僧侶たちにとっては、厄介者でしかなかったようですね。




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by sakanoueno-kumo | 2018-08-05 00:26 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)