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2018年 08月 14日 ( 1 )

 

幕末京都逍遥 その113 「戒光寺(御陵衛士菩提寺)」

東山にある泉涌寺の塔頭・戒光寺に、慶応3年11月18日(1867年12月13日)に起きた油小路通事件で落命した伊東甲子太郎御陵衛士4人の墓があります。


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ここに葬られているのは、新選組・近藤勇らの謀略によって殺された伊東甲子太郎、藤堂平助、服部三郎兵衛、毛内監物の4人。

彼らの遺体は、事件後3日間現場に放置されていたといいます。

これは、生き残った御陵衛士の他のメンバーを誘き寄せるための新選組の策でしたが、結局、残党は現れず、その後、4人の遺体は新選組の手によって「その104」で紹介した光縁寺に葬られたそうです。

その後、明治に入って、御陵衛士の残党が光縁寺から戒光寺に改葬したそうです。


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戒光寺の本寺である泉涌寺は歴代天皇家の菩提所で、慶応2年12月25日(1867年1月30日)に崩御した孝明天皇(第121代天皇)の御陵(後月輪東山陵)もありました。

彼らの結成した「御陵衛士」の名称は、孝明天皇の御陵の護衛者という意味です。

熱烈な勤王志士だった伊東は、戒光寺の長老である堪然の仲介によって、孝明天皇の御陵守護の任を拝命していました。


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現在、4人の墓は一般公開されていません。

以前は普通に墓参できていたみたいですが、現在は墓参するには事前申し込みが必要で、それも、わたしのような観光客には許可いただけないみたいです。

その理由は、過去の聖霊に畏敬の念を持たない不心得者から墓を守るため、だそうです。

残念ですが、何か、そうせざるを得ない出来事があったのでしょうね。

たしかに、墓は観光名所ではないので、やむを得ません。


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御陵衛士を結成してからわずか8ヶ月で落命した伊東甲子太郎ら4人。

さぞかし無念だったに違いありませんが、ここ戒光寺に葬られたことで、死してなお、御陵をお守りし続けているといえます。

ある意味、武士の本懐かもしれません。




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by sakanoueno-kumo | 2018-08-14 23:20 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)