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2018年 08月 22日 ( 1 )

 

幕末京都逍遥 その117 「妙法院(七卿西竄紀念碑)」

前稿で紹介した智積院のすぐ北隣にある妙法院に、七卿西竄紀念碑があります。

「七卿」とは、八月十八日の政変で京を追われた追われた尊王攘夷派の公卿7人のことです。

世にいう「七卿落ち」ですね。


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写真は山門です。


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上の写真は国宝に指定されている庫裏です。

桃山時代に作られた国内最大級の建物だそうで、豊臣秀吉方広寺大仏殿「千僧供養」を行った際に、台所として使用されたと伝えられています。


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こちらは唐門です。


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そして大玄関


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庭園内にある七卿西竄紀念碑です。


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文久3年8月18日(1863年9月30日)に公武合体派が起こしたクーデター、世にいう「八月十八日の政変」で、長州藩士と尊王攘夷派の公卿が京から追放されますが、その際、一旦ここ妙法院に入り、今後どうすべきかを話し合ったといいます。


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七卿のメンバーは、三条実美、三条西季知、東久世通禧、壬生基修、四条隆謌、錦小路頼徳、澤宣嘉の7人で、いずれも尊王攘夷派の公家でしたが、このうち公卿の列にあるのは三条実美と三条西季知の2人だけで、二卿五朝臣といった言い方をされる場合もあります。


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この石碑は、有栖川宮威仁親王篆額を得て大正元年(1929年)9月に建立されたものだそうです。


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石碑の斜め向かいにある宸殿です。

妙法院に入った七卿は、この宸殿で密議を行ったと伝わります。

話し合いの結果、いったん長州藩に落ち延びることに決定し、19日早朝、久坂玄瑞に率いられて出発しました。

雨が降っていたといいます。


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その後、七卿のなかの錦小路頼徳は元治元年(1864年)に病没し、澤宣嘉は生野の変で挙兵したのちに脱出して四国伊予小松藩周辺に匿われ、その後、長州に脱出、あとの五卿は第一次長州征伐の後に筑前国太宰府に移されます。

やがて王政復古の大号令によって赦免されると、三条実美は太政大臣内大臣、澤宣嘉は外務卿、三条西季知は参与神宮祭主、東久世道禧は枢密院副議長貴族院副議長となるなど、それぞれ明治政府の要職に就きました。

そんな七卿の原点が、ここ妙法院だったわけです。




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by sakanoueno-kumo | 2018-08-22 23:19 | 幕末京都逍遥 | Comments(2)