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2018年 08月 24日 ( 1 )

 

幕末京都逍遥 その118 「詩仙堂」

洛北の一乗寺地区にやってきました。

まず初めに訪れたのは、詩仙堂

江戸初期の石川丈山が寛永18年(1641年)に造営、隠棲した山荘跡で、国の史跡に指定されています。

ここに、長州藩御楯組のメンバー、久坂玄瑞寺島忠三郎の位牌が安置されています。


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久坂と寺島は、元治元年7月19日(1864年8月20日)に起きた「禁門の変」(蛤御門の変)で落命しました。

激情型過激派志士が多かった長州藩士のなかで、ギリギリまで慎重論を主張していた久坂は、戦いが始まってもなお、朝廷への嘆願をあきらめずに公卿の鷹司輔煕に篭って孝明天皇への取り次ぎをすがりますが、やがて薩摩・会津軍に包囲され、万策尽きた久坂は、ともに行動していた寺島と刺し違えて自刃します。

玄瑞25歳、忠三郎22歳でした。


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その後、ふたりの遺体は、「その69」で紹介した福井藩の京の菩提寺である上善寺に葬られたという説と、ここ詩仙堂に葬られたという説があり、定かではありません。

ただ、上善寺には伝承しか残っていませんが、ここ詩仙堂にはふたりの位牌があるそうですから、こちらの方が信憑性があるといえるでしょうか。


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明治に入り、太政官布告によって改葬され、今は「その5」「その6」で紹介した京都東山霊山に墓があります。

また、久坂の墓は、地元・山口県にもあります。

もっとも、東山の墓に遺骨が埋葬されているのかはわかりません。


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ふたりの遺体が一時的でもここに埋葬されていたのだとすれば、どのような縁があったのでしょうね。

ここを造営した石川丈山は徳川家康の家臣でしたから、ここは、徳川家に縁の深い寺院でした。

丈山は90歳までこの山荘で悠悠自適の風雅な暮しをしたそうで、その一室の壁に、狩野探幽に描かせた中国の詩仙36人の肖像と詩があることから、いつの頃からか「詩仙堂」と呼ばれるようになったそうです。


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室内は撮影禁止ですが、庭園はOKでした。


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ここを訪れたのは平成30年(2018年)3月31日。

桜の綺麗な季節でした。




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by sakanoueno-kumo | 2018-08-24 00:53 | 幕末京都逍遥 | Trackback | Comments(0)