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2019年 03月 06日 ( 1 )

 

越前北ノ庄城跡・柴田神社を訪ねて。

前稿まで紹介してきた福井城結城秀康が築城する以前、越前には柴田勝家が築城した北ノ庄城がありました。

勝家の北ノ庄城は、天正11年(1583年)に羽柴(豊臣)秀吉によって攻め落され、焼失してしまいますが、その後、結城秀康が新たな城を築いたため、勝家時代の城の遺構はほとんど残っていません。


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平成5年(1993年)から6度にわたって発掘調査が行われ、本丸の推定位置とされている柴田神社の地下から石垣の跡と思われる石が出土し、現在、北の庄城址・柴田公園として整備・遺構展示されています。


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場所は福井城跡から400mほど南下した道路沿いにあります。

実は、わたしはここを訪れるのは2回目で、6年前の拙稿でも紹介したのですが(参照:越前北ノ庄なう!)、前回は出張ついでの夜に訪れたので、暗くてよくわかりませんでした。

今回は、朝から福井城をめぐって、そのあと訪れたので、時間はたっぷりあります。


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朝倉氏の滅亡後、越前国を支配していた一向一揆を平定した功績によって、織田信長から越前国北ノ庄を与えられた柴田勝家が、天正3年(1575年)から築城を開始したとされています。


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竣工がいつだったかわわかりませんが、イエズス会の宣教師・ルイス・フロイスの記録によると、天正9年(1581年)にフロイスが訪問したときは、まだ工事中だったようです。

ということは、落成して間もなく落城したことになりますね。


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同じくフロイスの記録によると、北ノ庄城は壮麗かつ巨大な規模の城だったようで、建物の屋根に葺いた石瓦は非常に滑らかで轆轤にかけたように形が揃っており、美しい色をしていたといいます。


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羽柴秀吉が小早川隆景に送った書状には、北ノ庄城は「城中に石蔵を高く築き、天守を九重に上げ候」とあります。

織田信長の安土城の天守ですら五重七階だったと伝わりますから、秀吉の書状が本当なら、北ノ庄城はとんでもなく大きな天守だったことになりますね。


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ところが、周知のとおり、勝家は天正11年(1583年)の「賤ヶ岳の戦い」で秀吉に敗れ、ここ北ノ庄城に逃げ込むと、その前年に再婚したばかりの妻・お市の方とともに自刃して果てます。

このとき、自ら火を放ったとも伝えられますが、北ノ庄城は建造物のほぼ全てが焼失し、その跡地に結城秀康が新しい城を築いたため、いまでは本丸の正確な場所もわかっていません。


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公園内には、発掘調査で見つかった北ノ庄城の石垣と見られる遺構があります。


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公園内に積まれている石垣は遺構ではありません。

城跡公園らしい演出のための想定復元石垣です。


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公園内には、柴田勝家像があります。


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いかにも「鬼柴田」といった面構えです。


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公園内には柴田神社が鎮座します。

祭神はいうまでもなく柴田勝家。


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かつてこの地に作られた時代が不明な勝家とお市の方を祀る石祠があり、北ノ庄城の跡に築かれた福井城内の神祠として保護されてきたそうで、明治23年(1890年)、旧福井藩主の松平春嶽、旧藩士、住民らの発意によって小祠のある場所に神社が作られ、「柴田神社」としたそうです。


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賽銭箱には柴田家の家紋「二つ雁金」が。


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こちらは、お市の方をはじめ殉難将士の慰霊碑です。


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そして、お市の方の像

戦国一の美女とうたわれたその姿は、どこか悲しげでした。


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そして、その横に並ぶ浅井三姉妹の像。

左から、長女・茶々(淀殿)・三女・お江(崇源院)・次女・お初(常高院)

平成23年(2011年)の大河ドラマ『江~姫たちの戦国』の放送に合わせて作られたものだそうです。


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公園内にある石碑には、現代日本画家の巨匠、故・平山郁夫氏の名前が。

なんでも、平山氏は勝家のご子孫なんだそうで・・・。

へぇ~!!!ですね。


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6年前に訪れた際には、高さ6mほどの天守の復元模型があったはずなんですが、なくなっていました。

調べてみると、これも大河ドラマ放送に合わせて設置されたものだったそうで、数年前に撤去されたそうです。

なかなか立派な模型だったと記憶していたので、たいへん残念。

やはり、北ノ庄城ははかなく落城する運命にあったんですね。




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by sakanoueno-kumo | 2019-03-06 00:56 | 福井の史跡・観光 | Comments(0)