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2019年 04月 04日 ( 1 )

 

但馬八木城跡登城記 その2 ~石城三ノ丸・二ノ丸跡~

「その1」の続きです。

「秋葉さん」と呼ばれる石仏を過ぎると、いよいよ縄張り図に描かれている本格的な城跡の遺構です。


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八木城は、西から東へ伸びる細長い尾根上に築かれており、東西340m、南北260mに及ぶ巨大な山城です。

標高303mの本丸から東方面に7段の郭があり、さらに北方向に6段、南方向に9段の郭があります。

この日の登山コースは東から。


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「秋葉さん」のあった土塁の上が、東面第6郭跡です。


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けっこう広い郭です。

ここは眺望もよく、物見櫓のような役割を果たしていたのかもしれません。


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説明板が設置されています。


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第6郭からの東南東の眺望です。

説明板によると、ここから但馬朝倉城が見えるとのことでしたが、木が覆い茂っていて視界が狭く、よくわかりませんでした。


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第6郭から第7郭を見下ろします。

削平地が段々になっているのがわかるでしょうか?


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第6郭から第5郭を見上げます。


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続いて第5郭から見た第4郭です。


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第4郭下から空を見上げます。

ここを訪れたのは平成30年(2018年)10月28日。

紅葉が始まりかけていました。


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第4郭跡です。

第4郭は八木城で最も大きな郭で、長さ66m、最大幅17mあります。


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本丸、二ノ丸、三ノ丸という用語は豊臣秀吉の時代から使われ始める言葉ですが、それでいうと、この第4郭あたりが三ノ丸に相当する郭と推定されます。


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第4郭跡の東先端には、「三ツ顔さん」と呼ばれる石仏があります。


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見上げると、陽の光をよく浴びている上の方が紅葉しています。

あと1週間ほど遅く来たら、もっと綺麗な紅葉が見られたかもしれません。


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「その1」でもふれたとおり、ここ八木城は但馬国守護大名の山名氏に仕える山名四天王に数えられた八木氏が、15代、300年以上に渡って守ってきた城でした。


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ところが、第15代城主の八木豊信の時代になると、但馬国の情勢が変わり始めます。

山名氏の勢力が次第に弱体していき、そんな中、織田氏毛利氏が但馬国に手を伸ばしてきました。

そのため、八木豊信は天正3年(1575年)11月から毛利勢の吉川元春と手を結びますが、織田信長の命を受けた羽柴秀吉軍の二度に渡る攻撃に屈し、降伏しました。

その後、豊信は羽柴軍に属して因幡国侵攻戦に参加し、秀吉から因幡智頭郡2万石を与えられて因幡若桜鬼ヶ城を任されますが、しかし、天正9年(1581年)に山名豊国から吉川経家鳥取城主が代わり、毛利氏の勢力が盛り返すと、若桜鬼ヶ城を守りきれずに消息不明となりました。

その後の詳細はわかっていません。


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八木城跡まであと100mとあります。


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第3郭跡です。


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そして、この防獣柵を超えると第2郭です。


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主郭(本丸)のすぐ真下にあたる部分で、のちの用語でいえば二ノ丸に相当する郭です。


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ここにも石仏があります。


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見上げると、本丸跡の石垣がドドーーンと目に入ります。

でも、長くなっちゃったので、本丸跡は「その3」にて。




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by sakanoueno-kumo | 2019-04-04 22:38 | 兵庫の史跡・観光 | Comments(0)