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2019年 08月 02日 ( 1 )

 

海に浮かぶ要塞、讃岐高松城を歩く。 その2 <桜御門、三ノ丸(披雲閣)>

「その1」の続きです。

高松城三ノ丸にある桜御門跡です。

ここを抜けると、藩主の居住である披雲閣があります。


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櫓門台の石垣が残ります。

門は昭和まで現存していたそうですが、昭和20年(1945年)7月4日の高松空襲焼失してしまったそうです。

石垣には、焼けた跡が見られます。

7月4日といえば、終戦のわずか1ヶ月余り前ですよね。

この終戦ギリギリの段階で、日本各地に残っていた多くの城が焼失しました。

戦争は多くの人の命を奪いましたが、同時に、わが国の歴史的遺産も奪いました。

終戦の決断がもう少し早ければ、救われた命も、そして失わずにすんだ文化遺産もたくさんあったでしょうね。


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門を抜けると、目の前に見附石垣があります。


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その北側には、披雲閣が。


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披雲閣は寛文11年(1671年)頃に藩主の住居として建てられたといわれます。

讃岐高松藩初代藩主の松平頼重の時代です。

そのときの建物は明治になって老朽化により解体され、その後、松平家第12代当主で貴族院議員も務めた松平賴壽によって大正6年(1917年)に再建されました。

当時のお金で15万円という巨費を投じての建築だったそうで、3年の歳月をかけたそうです。


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もっとも、江戸時代の披雲閣は、今の披雲閣の約2倍あったそうですが。


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現在の建物内には142畳敷大書院をはじめ、槙の間、松の間、蘇鉄の間など雅致を生かした各部屋があり、波の間には、昭和天皇・皇后両陛下が2度宿泊されたそうです。


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それにしても、桜御門が空襲で焼失したのに、ここはよく焼けなかったものですね。


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披雲閣の西側から北側にかけて、広大な庭園が広がります。


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この庭園も、大正3年から6年(1914~7年)にかけて披雲閣が建築された際に作庭されたものだそうです。


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庭園内には、昭和天皇・皇后のお手植えの松があります。

いずれも大正時代、皇太子、皇太子妃時代に植えられたものです。


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こちらが昭和天皇のお手植え。


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そしてこちらが香淳皇后のお手植え。


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石碑も建てられています。


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さて、披雲閣を過ぎたところで、「その3」に続きます。




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by sakanoueno-kumo | 2019-08-02 00:46 | 香川の史跡・観光 | Comments(0)