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2019年 08月 09日 ( 1 )

 

海に浮かぶ要塞、讃岐高松城を歩く。 その6 <外周、東の丸>

「その5」の続きです。

城跡公園の外に出てみましょう。


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写真は公園西入口です。

石垣の造りなどから見て、往時も何らかの門があったのでししょうが、説明書きなどがなかったため、詳細はわかりません。


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入口の右側(南側)の石垣が突起している部分には、かつて弼櫓があったそうです。


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入口横には「玉藻公園」と刻まれた大きな石碑があります。

讃岐高松城は、別名、「玉藻城」ともいいます。

その由来は、万葉集柿本人麻呂が讃岐国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことから、この辺りの海域を「玉藻の浦」と呼んでいたからだそうです。


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北西隅の簾櫓跡石垣です。


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公園北側の石垣です。

現在は東西に道路が走って歩道整備されていますが、往時は石垣の外はでした。

向こうに、「その3」で紹介した月見櫓、水手御門、渡櫓が見えます。


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西側を振り返ると、ホテルクレメント高松が見えます。


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さらに東に進んでもう一度振り向くと、月見櫓とホテルクレメント高松のミスマッチ


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北側に目をやると、海沿いに報時鐘が見えます。


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報時鐘とは、読んで字のごとく時を知らせる鐘楼

昭和55年(1980年)の再建です。


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さらに東に進むと、香川県県民ホールの敷地内に入るのですが、石垣たけはずっとつながっています。


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生駒氏に代わって寛永19年(1642年)に入城した初代藩主の松平頼重は、長い年月をかけて大規模な城の改修工事を行いました。

その際、縄張りを北方と東方に拡張し、新たに「東の丸」を設けました。


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現在、その東の丸があった場所には県民ホールが建てられていますが、石垣の遺構だけは、このようにホール敷地内に残されています。


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写真は「その1」で紹介した艮櫓がかつて乗っかっていた櫓台石垣です。


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丑寅(艮)とは北東の方角を指す言葉です。

ここが城の北東隅だったことがわかりますね。

延宝5年(1677年)築と伝わる艮櫓は、昭和40年(1965年)に当時の所有者であった旧国鉄から高松市が譲り受け、2年の歳月をかけて東の丸より旧太鼓櫓跡移設されました。


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説明書きの陶板が埋め込まれた石碑があります。


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石垣は艮櫓から更に南へ伸びています。


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石垣は艮櫓から60mほど南下した場所で終わっています。

ここで県民ホールの敷地が終わりなので、ここまでしか残せなかったのでしょうね。


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石垣の内側です。


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その南にある松平公益会の敷地内には、土塁跡と思われる遺構が残されています。


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その柵の前には、東の丸の説明板が。


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で、「その1」で紹介した東側の中濠に戻ってきました。

写真左側に見えるのが、艮櫓旭橋です。

6回に渡って巡ってきた讃岐高松城逍遥ですが、歩き疲れました。

そろそろ、讃岐うどん食べて帰ります。


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by sakanoueno-kumo | 2019-08-09 01:01 | 香川の史跡・観光 | Comments(0)