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2019年 09月 02日 ( 1 )

 

いだてん~東京オリムピック噺~ 第33話「仁義なき戦い」 ~ムッソリーニとの会見~

e0158128_20034565.jpg 昭和15年(1940年)の東京オリンピック招致運動に奔走する嘉納治五郎は、イタリアのムッソリーニ首相と交渉してローマに辞退してもらおうと思い立ち、新たにIOC委員に就任させた杉村陽太郎副島道正の2人をイタリアに向かわせます。杉村は嘉納の懐刀ともいうべき人物で、嘉納が校長を務めていた高等師範学校付属中学校の卒業生で、講道館柔道でも嘉納に師事し、六段の実力者でした。明治41年(1908年)に東京帝国大学を卒業し、外務省に入省。フランスのリヨン大学において博士号も取得し、以後、駐フランス大使館一等書記官、国際連盟事務局長次長を経て、日本が国際連盟を脱退するまで事務局長兼政治部長を務めました。身長185cm、体重100kgの巨漢で、フランス在外公館勤務時代は、柔道の指導にも尽力したそうです。まさに文武両道。嘉納の代わりが務まるとしたら、彼しかいなかったでしょう。


e0158128_20035150.jpg 一方の副島も、嘉納が学習院の教頭を務めていた頃の生徒で、当時の副島は成績があまり良くなかったようで、しばしば嘉納教頭から叱責されたそうですが、卒業後はケンブリッジ大学に学び、宮内省に入って東宮侍従式部官を務め、さらに貴族院議員を務めています。実業家としても京城日報社社長、日英水電・早川電力役員などを務めるなど活躍しています。杉村に負けずとも劣らない有能な人物でした。ちなみに彼は、幕末から明治にかけて活躍した元佐賀藩士・副島種臣の三男で、伯爵でした。


 昭和10年(1935年)2月18日、杉村と副島は陽気な独裁者・ムッソリーニと会談しますが、ドラマのとおり、副島がムッソリーニとの会見直前に体調を崩して倒れてしまい(インフルエンザと肺炎を併発)、会談は持ち越しとなります。この、病を押してまで交渉しようとした副島の情熱がムッソリーニの心に響き、イタリアは昭和15年(1940年)のローマ大会開催を辞退し、東京に譲ると約束します。まさにサムライスピリッツだったといえるでしょうか。もっとも、それは「たてまえ」で、ドラマで河野一郎が言っていたとおり、多分に政治的思惑がはたらいてのことだったでしょうね。情熱だけで国家事業が動くとは思えません。


 かくしてムッソリーニから立候補取り下げの約束を取り付け、2月26日、オスロでのIOC総会に嘉納の代理として杉村が出席しますが、その席で、杉村と副島がオリンピック招致に政治を持ち込んだことが問題となります。まあ、そりゃそうでしょうね。実際には、現代でもスポーツと政治は完全に切り離すことはできていないのですが、たてまえは、やはりオリンピックと政治は無縁でなければなりません。工作が真っ向勝負すぎましたね。もうちょっと上手くやれなかったのでしょうか。


 この問題に対してIOCは、警告を促す書簡を嘉納治五郎と副島道正宛に送りました。そして、開催地決定を1年先送りにすることが決定されます。これを受けた嘉納と東京市は、IOC会長のラトゥールを東京に招待します。実際に日本をこの目で見てもらって、いかに日本が開催国にふさわしいかを知ってもらおうという趣旨ですが、まあ、言ってみれば接待攻勢ですね。これも、いわば政治工作といえるのではないかと。やはり、オリンピックと政治は切っても切り離せません。



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by sakanoueno-kumo | 2019-09-02 20:11 | いだてん~東京オリムピック噺~ | Comments(0)